止められない、止まらない・・・

時にワーグナーの音楽を無性に聴きたくなる。19世紀のいわゆる前衛的な未来音楽を、21世紀の今体感することで、やっぱりワーグナーその人が見ていたのは未来そのものだったのではないかとフルトヴェングラーがEMIに録音した管弦楽曲集を聴きながら思った。もはや音は古びて聴きづらいことは否めない。しかしながら、生誕125年を迎えた巨匠の創り出す音楽はデモーニッシュでありながら静謐で、一つの音楽作品の中に陰と陽、動と静を併せ持っていることがあらためて確認でき、久しぶりに2枚組の音盤相手に止められない、止まらないという状態・・・。

先日書店で見かけた河出書房新社が発行する文藝別冊の新刊。「フルトヴェングラー至高の指揮者」というタイトル。これまでの文献の焼写し部分がほとんどで新しく書き下ろされたネタも少なそうだったので買うのは止そうかと思ったが、ついつい手に取ってレジに・・・(苦笑)。

かつて少年の僕をクラシック音楽という終わりのない蟻地獄に誘った張本人がフルトヴェングラーその人だから、見逃すわけにもいかない。最近はほとんど耳にすることはなくなったが、久しぶりに聴いてみると音の悪さを乗り越えて、感動を与えるその魔力に卒倒する(ひょっとするとその「感動」ですら「過去の記憶」、潜在的に刷り込まれたフルトヴェングラーに対する「畏怖の念」が成せる技なのかもしれないけれど)。

大学に向かう電車内で件の書籍をぱらぱらと斜め読みした。古今の日本を代表する評論家のフルトヴェングラーに対する批評や名エッセーが掲載されており、読みごたえは十分。でありながら、どうにも古びた衣装を箪笥の奥から引っ張り出してきて、色褪せた生地を相手に当時それらがどれだけ凄かったのかを自慢されているようにも思え、どうにも居心地の悪さも覚えた。

所詮我々には音の缶詰でしかかの巨匠の音楽を享受できないことのもどかしさ。集中して相当の想像力を駆使しながら、60年前のウィーンの楽友協会での演奏を堪能する。

ワーグナー
・歌劇「さまよえるオランダ人」序曲
・歌劇「タンホイザー」序曲
・楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕前奏曲
・歌劇「ローエングリン」第1幕前奏曲
・楽劇「トリスタンとイゾルデ」第3幕前奏曲
・楽劇「ワルキューレ」~ワルキューレの騎行
・楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」~徒弟たちの踊り
・ジークフリート牧歌
・楽劇「神々の黄昏」~ジークフリートのラインへの旅&葬送行進曲
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

やっぱり聴いていくうちに録音の良し悪しなどどうでも良くなる。ワーグナーの音楽そのものが未来を向いているからだろうか、特にこれらの録音には途轍もない「永遠性」が音楽とともに収録されているみたい。何年かに一度聴くと良い音盤なり。


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