きわどい一点

10代の頃に随分読んだものの、それ以降はまったく手に取らずにいた夏目漱石の小説などを久しぶりにひもといてみようと、名作「こゝろ」をざっと読み返してみた。30年前のあの頃には湧き出なかった感情の奔流、そして、現代にも通じる人間関係の心理が具に観察でき、なるほど漱石の凄さを再確認した。

例えば、「下 先生と遺書」の中で、先生は私に自分の身の上を事細かに語ってゆくが、幼くして両親をほぼ同時に亡くした先生が、叔父夫婦に引き取られた後、そこで相続のためにまだまだ若いうちから結婚問題を再三突き付けられ、最終的にはいわゆる従妹を相手として勧められたという件での先生の言葉。

「あなたも御承知でしょう、兄妹のあいだに恋の成立したためしのないのを。私はこの公認された事実をかってに布衍しているかもしれないが、しじゅう接触して親しくなりすぎた男女のあいだには、恋に必要な刺激の起こる清新な感じが失われてしまうように考えています。香をかぎうるのは、香をたきだした瞬間にかぎるごとく、酒を味わうのは、酒を飲みはじめた刹那にあるごとく、恋の衝動にもこういうきわどい一点が、時間のうえに存在しているとしか思われないのです。一度平気でそこを通り抜けたら、慣れれば慣れるほど、親しみが増すだけで、恋の神経はだんだん麻痺してくるだけです。」

「慣れ」というものが人間の感覚を愚鈍にするというのは確かだろう。でもそれはひょっとすると「いまここ」という感覚を体得した後においてはそうとも限らないのでは・・・。そう、「慣れ」はあくまで「時間」の上にのみ存在するものなのである。逆に言うと、恋沙汰に限らず、常に新鮮な意識で物事に対峙するには、「現在」をただひたすら懸命に生きることが重要だということ。つまりそれこそが先生が言う「きわどい一点」ということになる。

音楽に接するときも、この「きわどい一点」を意識して聴くことでどんな作品も初めて耳にするような新鮮な音楽になりうる。久しぶりに若きイングリット・ヘブラーがドホナーニと録音したモーツァルトのK.595(フォンタナ・レーベルのアナログ盤!)を聴いて「いまここ」を体感した。

モーツァルト:
・ピアノ協奏曲第26番ニ長調K.537「戴冠式」
・ピアノ協奏曲第27番変ロ長調K.595
イングリット・ヘブラー(ピアノ)
コリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団
クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮ウィーン交響楽団(FG-227)

そもそもこの音楽自体、今まさにこの瞬間に生み出されたような「透明感」と「無の境地」を体現するような作品なのだけれど、最晩年のモーツァルトの孤高の境地を「淡々と」見事に表現し切っており、こちらもほぼ30年ぶりにひもといてみて「嗚呼、なんて素敵な音楽なんだろう」と感嘆した。かつてラローチャがショルティと録音したもの、そしてバックハウスがベームと録音した音盤たちをとっかえひっかえして聴いていた頃、もっともプレーヤーに載る回数が少なかったレコードだが、何だか損をしたような気分に今なった。


4 COMMENTS

雅之

こんばんは。
ここ数日、仕事の一環で、三井住友海上しらかわホール主催公演「マーラーとウィーンの世紀末 ベートーヴェン&マーラー 交響曲の新世紀」
http://www.shirakawa-hall.com/detail_20111203.html
のお手伝いを忙しくしておりました。

特に今回コンサートの白眉は、
マーラー:交響曲 第9番 ニ長調 12人の奏者のためのオリジナル室内楽版(このプロジェクトのためにしらかわホールが委嘱したオリジナル編曲)の初演でした。
瀬尾和紀さんによる編曲は、原曲の色彩感、迫力を、ほとんど失うことなく、しかも曲の骨格をより明確に打ち出すことに成功した、国際的にどこに出しても誇れる、奇跡的で見事な大傑作だと感じました。今後この曲は、オリジナルのオケ版より、この編曲版で聴きたいと思ってしまったくらいです。終楽章など、インバルやベルティーニの実演時並みに久々に心底感動しました。

毎年音大を何万人も卒業する人がいるんだから、クラシック界に籍を置く人々は、こういう「ネオ・オリジナリティ」へのチャレンジを、もっとやるべきなんでは? そうすれば、新鮮なレパートリーも拡大するし・・・。

ショスタコ:24の前奏曲とフーガ 12人の新進気鋭若手作曲家によるオケ編曲版 とか・・・そんな企画のコンサート、絶対に面白そう(笑)。どっかのホール、委嘱せい!!

そういえば、いつかの、ああいう路線↓もいいですよね!

吉松隆:タルカス~クラシック meets ロック 藤岡幸夫&東京フィル、中野翔太(p)
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3835463

今月はめちゃくちゃ上手いアマ・オケのコンサートで、マーラー:交響曲第10番のバルシャイによる補筆完成版も聴きます。ガムラン的とも喩えられているこの版で大量に使用される打楽器群を、この目で確かめられるので、そっちも楽しみです。

返信する
雅之

モーツァルト(フンメル編曲):室内楽版ピアノ協奏曲
ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466
ピアノ協奏曲第25番ハ長調K.503

白神典子(Pf)
ヘンリク・ヴィーゼ(Fl)
ペーター・クレメント(Vn)
ティボル・ベーニ(Vc)

http://www.hmv.co.jp/product/detail/1914044

この編曲版の実演も聴きたい!!

返信する
岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
仕事の一環というのが素敵ですね。羨ましいです。(一体どんな一環なんでしょう?笑)
しかも、オリジナル室内楽版によるマーラーの9番やエロイカなどとなるともう、ほんとにその場に居合わせたかったという思いでいっぱいになります。

>原曲の色彩感、迫力を、ほとんど失うことなく、しかも曲の骨格をより明確に打ち出すことに成功した、国際的にどこに出しても誇れる、奇跡的で見事な大傑作

嗚呼、悔しい・・・(笑)

>こういう「ネオ・オリジナリティ」へのチャレンジを、もっとやるべきなんでは? そうすれば、新鮮なレパートリーも拡大するし・・・。

おっしゃるようにショスタコの編曲などは最高でしょうね!
フンメル編のモーツァルトも未聴ですので、こちらは機会を得て聴いてみます。

>めちゃくちゃ上手いアマ・オケのコンサートで、マーラー:交響曲第10番のバルシャイによる補筆完成版も聴きます。

以前そうおっしゃってましたよね!!羨ましい限りです。
それに、あえてアマオケだというのがミソだと思います。

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