ピアニストの耳

berg_wozzeck_abbado_vpo.jpg先日からの流れで何となく久しぶりにアルバン・ベルクの「ヴォツェック」を取り出して聴いていた。傍らの妻が「何これ?」というので「『ヴォツェック』だよ」と返答したら、ウィーンにいた頃、当時つきあっていた彼氏にザルツブルク音楽祭に連れて行ってもらってプレミエの舞台を観たという。なるほど、おそらくそれは1997年(8月中旬)のアバド指揮によるものだろうと想像したのだが、何とその年は僕自身も友人たちとザルツブルク音楽祭を訪れていた。いつか書いたが、その時はベルナルト・ハイティンクの棒によるマーラーの第9交響曲のコンサートとハーゲン四重奏団によるシェーンベルクやベートーヴェンのカルテット(確か8月上旬)という演奏会に触れただけで、その後鉄道でブダペストかどこかに移動したはずだから、同日に同じ地にいたということはないのだが、それにしてもニアミスというか、こういう偶然もあるものだと、不思議な縁に驚いた。

ベルクの「ヴォツェック」の手持ちは有名なアバド&ウィーン・フィルハーモニーによるものだけ。そう、あれこれ聴き比べをしたこともないし、もちろんじっくり聴き込んで研究したという時期もない。いつも何となく思い出して何となく聴いていたに過ぎない。

年を重ねるにつれ、読む本、聴く音楽、見る絵、どれもかつてとは異なった印象を与えてくれる場合が多い。ベルクの音楽についても同様。有名なヴァイオリン協奏曲や抒情組曲など繰り返し聴き込んでいる作品もあるにはあるが、残念ながらごく一部。

「ヴォツェック」は合計で1時間半ほどの、「ながら」で聴くのにほどよい長さだからこれまた好都合。アポイントの前に原稿を書きながら繰り返し何度も聴いているが、そのたびごとに発見があるのが面白い。何せ冒頭からベートーヴェンの「田園」交響曲主題の引用と来るからあわせて吃驚(いかにこれまでぼーっといい加減に聴いていたか・・・笑)。それにしても「田園」との符牒、学者諸氏はどう説明されるのだろう?このあたりについても少し勉強の価値あり。真に音楽というものは奥深い。

ベルク:歌劇「ヴォツェック」
フランツ・グルントヘーバー(バリトン)
ヒルデガルト・ベーレンス(ソプラノ)
ハインツ・ツェドニク(テノール)
オーゲ・ハウクランド(バス)ほか
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン少年合唱団
クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

今宵、中目黒でかつての教え子と一献。寒空の中、ついつい4時間ほど長話をした。いろいろと変化がある(久しぶりに訪れた中目黒の街自体が大幅に変わっていたのには驚かされた)。

それにしても、一度観た舞台のことを、その音楽を少しだけ聴いただけで題名はわからずとも「ヴォツェック」だと気づく「ピアニストの耳」って一体どうなっているのだろうか?(笑)


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
「ヴォツェック」に初めて接したのは、学生時代、当地のホールで上映したオペラ映画によってでした。陰惨な話だなあ、という印象でした。この映画の音楽はたしかベーム指揮だったと思いますが、少し記憶が曖昧です。その後買ったDGの音盤はフィッシャー・ディースカウ他が歌った定評あるベーム指揮ベルリン・ドイツ・オペラによる盤でした。
その後、近年購入して聴いて素晴らしいと思ったのは、同じベーム指揮ウィーン国立歌劇場による1955年のライヴ録音で、
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2755562
ここでは例によって乗りに乗ったベームの音楽が聴けます。
この作品には「田園」以外にも、シューマンなど他の作曲家の引用も多く確認できますが、その意味する本当のところは、作曲者しか知らないのだろうと思います。
作曲家とは、自身の仕掛けた罠に聴衆が大真面目に騙されて引っかかるのを、ほくそ笑んで楽しむ人種なんじゃないですかねぇ。
小椋佳の往年の大ヒット曲に「少しは私に愛を下さい」というのがありますが、「この歌は勧銀時代、アメリカに留学していた時、3日遅れで送られてきた日経新聞を見たら、“勧銀が第一銀行と合併”と載っていた。それで勧銀のトレードマークのバラともお別れか・・・と思って出来た歌だという。よって、これは恋の歌というより、勧銀人事部に対する“恨み節”だという」ことは、つい先日、日経新聞の連載記事や下のブログ記事を読むまで知りませんでした。
http://emuzu-2.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/nhk1063_5876.html
そんなもんなんだよなあ、偉大な芸術が生まれる瞬間なんて・・・。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
新ウィーン楽派についてはほんとに疎いんですよね。
いろいろと教えていただきたく思います。
ベーム盤はいずれも未聴です。勉強します。
>その意味する本当のところは、作曲者しか知らないのだろうと思います。
そうですよね、「音楽の聴き方」にもシューマンの評に対するショパンの友人宛手紙が紹介されていましたが、(どんな著名な評論家であれ)聴く側の意見なんていうのは勝手な想像(妄想・・・笑)なんだとあらためて思いました。
P47~48
「長い序論のあとで彼[=シューマン]は一小節一小節を分析してこれはただ普通にある変奏曲ではない、幻想的な絵画的な描写だといっています・第二ヴァリエーションはドン・ジョヴァンニがレポレロとかけまわるのだとか、第三はツェルリーナが接吻されていて、それを見て怒るマゼットを左手が描いているのだとか、・・・(中略)・・・このドイツ人の想像にはほんとうに死ぬほど笑った」
小椋佳の「少しは私に愛を下さい」にまつわる裏話は初めて知りました。そんなもんなんですよね。
本日もありがとうございます。

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