戸川純「玉姫様」

昨晩はMIT(マサチューセッツ工科大学)で1950年代に開発されたビールゲームを使っての「システム思考」ワークショップを、そして本日は朝からまる一日「過去から現在、そして未来を創造する」1 dayワークショップを開催した。各々使う脳みそが全く違うセミナーだが、ご参加いただいた皆さんの終了後の晴れ晴れとした顔が本当に素敵でとても心地良い。
他人様に喜んでいただくことの楽しさ、意義をあらためて感じさせていただける週末だった。

数年来の仲間が集まっての会合においても、大事なのはやっぱり「現在(いま)」。「現在(いま)」を肯定するために過去を徹底的に振り返り、そのすべてを受け容れる。しかもそれが「対話」を通してなされるならば鬼に金棒。
そこで本日の気づき。たとえそれが同じエピソード、話であったとしてもじっくり「対話」をすること、そしてたくさんの人と分かち合うこと。短い時間でもそれができる環境があるだけで、そのエピソードには深みが増す。気づきも深くなる。心と心をつなぐ「親和の対話」の重要さよ。

こういう体験の時に決まって頭の中に鳴り響くのはパッヘルベルの「カノンニ長調」
今夜は、僕の「カノン」コレクションの中でもとっておきの一枚を。

戸川純が1984年にリリースしたアルバム「玉姫様」に収録された『蛹化の女』(パンク・バージョンも最高!)。

(作詞:戸川純、作曲:Pachelbel、編曲:国本佳宏)

何てシュールな歌詞!
そして、「カノン」の例の伴奏にのって歌われる戸川純の声質の無垢さよ。
変わり果てた姿になるまで人を思い続けることができる人って素敵。
嗚呼、涙が出る・・・。

他の楽曲も侮れない。
例えば、タイトル・ソングは戸川純の作詞、そして何と作曲は細野晴臣。
四半世紀を経た今でも決して色褪せない。

戸川純:玉姫様


2 COMMENTS

雅之

こんばんは。

>大事なのはやっぱり「現在(いま)」。「現在(いま)」を肯定するために過去を徹底的に振り返り、そのすべてを受け容れる。

・・・・・・ しかし、現実から目をそらし、過去を追想することは、はたして逃避だろうか。それは恥ずかしい行為だろうか。
 私はそうは思わない。
 現実とは、過去、現在、未来をまるごと抱えたものである。未来に思いをはせて希望をふるいおこすことと、過去をふり返って深い情感に身をゆだねることと、どちらも大したちがいはないのだ。人は今日を生き、明日を生きると同時に、昨日をも生きる。・・・・・・五木寛之著「下山の思想」(幻冬舎新書)から〈ノスタルジーのすすめ〉より
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%8B%E5%B1%B1%E3%81%AE%E6%80%9D%E6%83%B3-%E5%B9%BB%E5%86%AC%E8%88%8E%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%BA%94%E6%9C%A8-%E5%AF%9B%E4%B9%8B/dp/434498241X/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1327238516&sr=1-1

昨日、妻とふたりで観に行った映画
「ALWAYS三丁目の夕日’64」
http://www.youtube.com/watch?v=pLKNtDP4I5s

五木寛之にせよ「三丁目の夕日」にせよ超ベタですが、こういうものに共感できる、こんな幸せが他にありましょうか? 
ドヴォルザーク、チャイコフスキー、万歳!!(笑)

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。

>人は今日を生き、明日を生きると同時に、昨日をも生きる。

五木さんの言葉は重みがありますね。
勉強になります。

あと「三丁目の夕日」観に行かれましたか!
僕の生まれ年なので気になっておりました。行こうと思います。

>こういうものに共感できる、こんな幸せが他にありましょうか? 

おー、いえぃ!
ドヴォルザークもチャイコフスキーもノスタルジックなところが共感を呼んだりするんでしょうね。
同じく万歳!!

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