ショスタコーヴィチが・・・、笑う

予定が空いたのでアレクサンドル・メルニコフのリサイタルに行くことにした。
ショスタコーヴィチの「24の前奏曲とフーガ」の実演に触れるのは初めて。浜離宮朝日ホールという大き過ぎず小さ過ぎずという理想の箱でどんなパフォーマンスが繰り広げられるのか今から期待で胸いっぱい。
ということで、そろそろ本日あたりから徹底的に予習をしてから臨もうと、まずは本人が一昨年リリースした音盤を。しかし、どういうわけか僕の装置ではDVD面とCD面が表裏一体になっている3枚目がうまく読みとれないようで再生できない。仕方がないのでPCでとりあえずは聴いているが味気ないのって何のって・・・。3枚目にはこの曲集の中でも最高峰だと思う第24番1曲が収められているのに。

僕の勝手な想像。この曲集は、ソビエト当局から睨まれ(時には命まで狙われ)、その芸術信条すら曲げて二枚舌的に生き延びざるを得なかった当時のショスタコーヴィチにあって、バッハのイディオムを借り、自身の内面をストレートに表現できた音楽ではなかったのか。繰り返し聴くたびに、心の内にある信仰心、宗教的崇高な思いが我々の中にも蘇るようで、音楽の力というものを、バッハやモーツァルト、あるいはベートーヴェンの作品以上に感じる。神のいなくなったソビエト社会においても唯一ここには神がある、そんな作曲者の「祈り」が詰まった、バッハ以上にバッハっぽい奥深い傑作群。

ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガ作品87
アレクサンドル・メルニコフ(ピアノ)(2008.5&12, 2009.3録音)

録音の関係もあるのか、あるいはメルニコフの音色そのものがそうなのか、このピアノの澄んだ色合と強靭なタッチがそもそも興味を引く。おそらくこの音楽を初めて聴いた人は一瞬ショスタコーヴィチだとは思わないのでは、それくらいに皮肉や諧謔性がほぼ皆無で、全曲2時間半という時間があっという間に過ぎ去ってしまう(よくよく聴くといかにもショスタコというフレーズはいっぱいあるのだけれど)。

それにしても、今朝の雨は冷たかった。少しばかり暖かくなったかと油断していたが、手足が凍りつくほど(苦笑)。
アポイントがいくつかあったのでまる一日出ずっぱりだった。貧乏暇なし、やるべきタスクが多くて目が回りそう。
ひとつひとつ丁寧に、そして着実に。
ショスタコーヴィチが・・・、笑う。


8 COMMENTS

雅之

おはようございます。

ショスタコ「24の前奏曲とフーガ」の件、すべてに同感です。
リサイタルのご感想、楽しみにしております。

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アレグロ・コン・ブリオ~第4章 » Blog Archive » 何ともショスタコ漬け

[…] 絶句・・・。とにかく上手過ぎる。第1番第3楽章パッサカリアの冒頭の威厳に満ちた力強さと第2変奏でヴァイオリン・ソロが現れるや、何とも静けさと祈りに満ちた響きの対比がこれまた表裏を成す。そして宇宙的広がりを体現する長いカデンツァはバッハの無伴奏以上のエネルギーを発する。 「24の前奏曲とフーガ」がバッハの影響下にあることでプラウダから批判を受けたこと、その後、何とか面子を保つために久しぶりに発表した第10交響曲がいよいよ好意的に迎えられるや作曲家は引き出しに奥にしまっておいたヴァイオリン協奏曲をようやく取り出す。そんな曰くつきの作品。 […]

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アレグロ・コン・ブリオ~第4章 » Blog Archive » 椿姫とフランツ・リスト

[…] 今夜は随分暖かい。 早朝稽古に出ると夜明けが早くなったのもよくわかる。眩しい太陽と春めいた空気と。こういう時こそ逆に気を引き締めていきたいもの。 ここのところ、ショスタコーヴィチの「24の前奏曲とフーガ」を中心に周辺の気になる作曲家や同時代の音楽を集中的に聴いてきた。いろいろと聴いてみて思うのは、ショスタコーヴィチのずば抜けた創作能力と同時に様々な要素を吸収してオリジナルの語法を生み出すセンスがぴか一だということ。とにかく奥深いゆえ一筋縄ではいかず、今後も、というより一生涯かけて研究、聴き続けなければならない天才だとあらためて確信する。 […]

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アレグロ・コン・ブリオ~第5章 » Blog Archive » ボロディン・カルテットのショスタコーヴィチを聴いて思ふ

[…] ショスタコーヴィチというのはバッハの対極にある作曲家だと思っていたけれど(ソビエト連邦という社会主義国家の中で生きていく上で少なくとも表面上は信仰というものを捨て、あくまで体制に迎合するべく社会主義リアリズムの名の下、作品を創造するという職責だったから)、やっぱりどうにも相通じるものは見逃せない(というか、彼ほど宗教心の深い音楽家はいないのではと思うほど)。特に、1960年代の諦念に満ちた作品群はバッハの精神を抜きには語れないのではないのか。それもそのはず。1950年代初頭にバッハの平均律クラヴィーア曲集にインスパイアされ作曲した前奏曲とフーガ作品87はショスタコーヴィチの最高傑作のひとつであり、大局で観れば20世紀に生み出された音楽の中でも出色の、不朽の名作といえるのだから。この音楽は形だけを真似たのではない。その内面は極めて奥深く、祈りに満ち、思念は空(くう)に至り、音楽のあらゆるイディオムを取り込む空前の作品ともいえる。これまでショスタコーヴィチ自身の演奏はもちろんニコラーエワやメルニコフのものを愛聴してきたが、おそらくエレーヌ・グリモーがいずれ演奏、録音した暁にはそれらを超えるものが生まれ得るのではないか。そんなことを想像し、そしてそういう期待を抱きつつ、後期の弦楽四重奏曲を聴いた。あまりに深く哀しい。しかし、やはりここに在るのは悲観的な心でなく、あくまで生への希望であり、楽観的諧謔である。 […]

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