ロストロポーヴィチ J.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調BWV1008、第3番ハ長調BWV1009&第6番ニ長調BWV1012(1991.3録音)

一世一代。
スルメのように、時間をかけて聴けば聴くほど味わい深まる逸品。
ついに録音叶った当時、待ってましたとばかりに手中にし、耳を傾けたものの、当時の僕には荷が重かったのだとみえる。
30余年の歳月を経て、久しぶりに聴いたロストロポーヴィチは素晴らしかった。

ロストロポーヴィチ J.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲第1番ハ長調BWV1007、第4番変ホ長調BWV1010&第5番ハ短調BWV1011(1991.3録音)

晦日にヨハン・セバスティアン・バッハ。
アンドレイ・タルコフスキーの没後40年のその日まであと1年という日に、タルコフスキーが愛したバッハを心静かに聴く。

『サクリファイス』では、主人公は、長い年月をかけて手入れをした家を焼く。なぜ? 妻とうまくいっていないから? それともこれはまさに犠牲であり、木が花を咲かせ、口の利けない息子が話すようになるための生贄であるからなのか。主人公の住んでいる島は、空を飛ぶ飛行機とわけのわからない振動で、ひっきりなしに鈍い唸り音を立てている。神に向けた告白で、主人公は、人類を守ってくださいとお願いする。彼はそれを、目に涙を溜めて、人が息子のことを頼むようにして頼むのだ。
『サクリファイス』では、ドストエフスキーのことが話題になるが、それは、もちろん偶然ではない。ドストエフスキーがはじめて、かくも鋭くこの問題を、人類に提示したのであった。すなわち、技術的進歩は十分に人間を満腹させ、調度品を保障する。しかし、物質的な幸福に満足した人々は、そうしたすべてを追い求めて「なぜ生きねばならないのか?」と問うこともできず、いつか泣き叫ぶことになるのだ。アレクサンデルが過去との架け橋を焼き払うとき、彼は異常であると判断され、精神病院に運ばれたのである。日常的な意識はそのようにして歴史的意識と衝突し、それに優越するのだ。

(セミョン・フレイリフ/大月晶子訳「時間の鋳型」)
アネッタ・ミハイロヴナ・サンドレル編/沼野充義監修「タルコフスキーの世界」(キネマ旬報社)P277-278

過去心、未来心、そして物質的欲求に執らわれる人類への明らかな警告。
宗教が科学に駆逐された20世紀にあって、神を否定する共産主義の中で、芸術を通して彼は抗った。あるいは、ドストエフスキーはロマノフ王朝後期の混迷の中で、やはり文学を通してそれに抗った。

タルコフスキーがバッハの音楽の中に見たものは何だったのか?

私が提示している理論的要求に、私がいつもうまく応えてきたかどうか、私には分からない。しかし、映画は音楽をまったく必要としていない、と私は心の奥でひそかに信じている、と言っておかなければならないだろう。けれども、私はまだ、音楽を使っていない映画をつくっていない、『ノスタルジア』と『ストーカー』でその方向に向かいはじめているけれども・・・少なくとも、これまでのところ、音楽は私の映画のなかで、いつもしかるべき位置を占めてきたし、重要かつ貴重な存在であった。
私は音楽がスクリーンでの出来事の平板な図解であってはならないと願っているし、また、私の望むように観客に映像を見てもらうために、映っている対象のまわりには、情緒的なアウラのようなものが感じられればいいと思っている。いずれにせよ、映画の音楽は私にとって、よく響きわたるわれわれの世界の自然な一部であり、われわれの生活の一部なのだ。

「月刊イメージフォーラム」1987・3増刊No.80追悼・増補版「タルコフスキー、好きッ!」(ダゲレオ出版)P70

彼にとってバッハは、おそらく特別なものだった。
生活の一部であり、世界の自然な一部だった。

ヨハン・セバスティアン・バッハ:無伴奏チェロ組曲
・第2番ニ短調BWV1008
・第3番ハ長調BWV1009
・第6番ニ長調BWV1012
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(チェロ)(1991.3録音)

老練、明朗快活、あるいは自然。
もちろんこの録音をタルコフスキーは知らない。
しかし、ロストロポーヴィチの弾くバッハを彼は生前聴いていたことだろう。
満を持して巨匠が録音したバッハを、もし彼が生きていたらどんなに絶賛したことだろうか。

音楽は澄み渡る。
どこまでも清らかで、どこまでも心を静かにさせ、(ある意味)大宇宙への感謝の念を喚起する。

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