
正しい固定したテンポというのは存在しない。響き、緩急、フレージングと調和しているテンポによって、正しい表現が可能になるということにすぎない。
(フェレンツ・フリッチャイ)
~フェレンツ・フリッチャイ著/フリードリヒ・ヘルツフェルト編/野口剛夫(訳・編)「伝説の指揮者 フェレンツ・フリッチャイ 自伝・音楽論・讃辞・記録・写真」(アルファベータブックス)P84
喜歌劇「こうもり」序曲の「ひねり」に吃驚した。
(それが単なる遊び心でなく、とても芸術的なのだから素敵)
一筋縄では行かないフェレンツ・フリッチャイの魔法に、僕は感激した。
晩年の棒とは思えない自由自在な奥妙さに、やはり彼の死は早過ぎたのだと思った。
円舞曲が巨大な交響詩に変貌する。
ハンス・クナッパーツブッシュ顔負けの解釈は、フリッチャイの此岸への置土産だ。
(すべてが理の適う名演奏)
「皇帝円舞曲」はワルターやフルトヴェングラーの名演奏もあるが、それらに引けを取らぬ絶品。
そして、人口に膾炙した名曲「美しく青きドナウ」も独特の間とためが絶妙に決まって、最高。
極めつけは「ウィーンの森の物語」。まるでその光景の中にあるかのように僕たちに心の愉悦と森羅万象の喜びを体験させてくれる。音楽とはこうでなくては、という好例。
楽器の音色の選択は、特に重要な要素である。私は音楽、特にオーケストラ音楽を聴く時、いつもその色彩を聴く。その性向は私の天性のものである。どのオーケストラも特有の「響きの基本となる色」を持っているように私には思われる。作品にもそれぞれ特有の音色があるのと同じである。
~同上書P83
確かに色彩が重要だ。
