回想シーンに涙する

ここ最近ワークショップなどで「今を生きる」ことを説いているのだけれど、僕自身は意外に過去を回想したりするのが好きで、時折懐古趣味に陥ることがある。何だ矛盾しているじゃないか、言っていることとやっていることが違うじゃないかとお叱りを受けそうだが、別に過去に固執しているわけでもないし、そう言いながらしっかりと今を意識しようとしているからそのあたりは大目に見ていただこう(笑)。
どうしてそんなことをふと思ったのか。
そういえば、クラシック音楽でもドラマや映画でもいわゆる回想シーンが出てくることが多いが、何ともそれが妙にツボにはまるのである。胸がきゅんとすると言ったら大袈裟だけれど、どうにも心の琴線に触れて涙が出そうになる。音楽の手法の場合、例えば第1楽章の主要主題がフィナーレで回想されたりすると、それだけでもうその音楽は僕の宝になってしまう。ブルックナーの第8交響曲や(最近はほとんど聴いていないけれど)ブラームスの第3弦楽四重奏曲などは初めて聴いたときから既に愛聴曲で若い頃は本当に繰り返し聴いた。そういえば、変奏曲などでも最終変奏で主題が調性を変えて出てきたりすると胸が高鳴る(そう、まるで恋しているかのよう・・・笑)。

ということで、来月11日のオーケストラ・ダスビダーニャの公演を前にプログラムのメイン曲であるショスタコーヴィチの「レニングラード」交響曲を予習の意味も込めてじっくり聴いた。

ショスタコーヴィチ:交響曲第7番ハ長調作品60「レニングラード」
ワレリー・ゲルギエフ指揮キーロフ歌劇場管弦楽団&ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団(2001.9.19-21Live)

80分近くのこの大曲をまた聴ける喜びで心が躍る。
この作品には皮肉的な側面はそもそもない。ショスタコーヴィチは真剣なのである。戦争に勝つか負けるかの瀬戸際という状況で、ソビエト連邦の民衆は皆祈り、そして心をひとつにして立ち上がっただろう。かの作曲家もそのうちのひとり。自身の命が狙われるような局面ではあくまでアイロニカルに振る舞った男が、国家の危機においては至極真面目に、真正面から対峙したところが実に興味深い。

ゲルギエフの棒も確か。一時期あまりにコンサートの数を増やし、その分ありがたみが減少していた彼だが、10年少し前の、ある意味最も脂が乗っていたであろう時期の演奏が脳天を直撃する。第1楽章は聴いていて嬉しくなる、ほくそ笑んでしまう、そして幸せな気分になる。そして、第3楽章アダージョの深遠で広大な響きは涙なくして聴けない。

そうこうするうちに、フィナーレでの第1楽章回想シーンになった。
嗚呼、これこれ・・・。素敵だ。


3 COMMENTS

雅之

おはようございます。

>音楽の手法の場合、例えば第1楽章の主要主題がフィナーレで回想されたりすると、それだけでもうその音楽は僕の宝になってしまう。

>そうこうするうちに、フィナーレでの第1楽章回想シーンになった。
嗚呼、これこれ・・・。素敵だ。

なるほど、同感です。

循環形式などは、「回想」の最たるかたちですね。

フランク ヴァイオリン・ソナタ
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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。

>循環形式などは、「回想」の最たるかたちですね。

フランクのソナタやシンフォニーというのもツボにはまります。

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アレグロ・コン・ブリオ~第4章 » Blog Archive » 伊福部昭の宇宙

[…] 週末のオーケストラ・ダスビダーニャ公演に向けて、せっかくだから「レニングラード」シンフォニーの前プロも予習しておこうと音盤を仕入れた。伊福部先生の作品はほとんど真面に聴いたことはなかったけれど(「戦前日本の管弦楽」という2枚組に収録された『土俗的三連画』くらいか)、実際きちんと耳にしてみると調性のしっかりしたとてもわかりやすい音楽でもっといろいろと勉強してみたいと思うようになった。 そういえば、いつだったかも書いたが、とある大学の講義に向かう途中で伊福部先生の自宅らしき屋敷を見つけた。主亡き今も表札には「伊福部昭」と大きな字で書かれていたから間違いないと思う。 […]

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