Keith Jarrett = Solo Concerts

「先生、肥えましたね」
昨日、とある企業での研修の際久しぶりの社員さんからかけられた言葉。「痩せましたね」という言葉はしょっちゅう聞いていたけれど、「肥えましたね」というのはここ数年、いや十数年なかったのでは(笑)。当然自分では意識がないので滅多にのることのない体重計に乗ってみたところ・・・、何と2キロほど増えていた。若干痩せ気味の僕にとってはこれは朗報。合気道を始めて、かかさず瞑想や呼吸法をやり、生活リズムを整えている結果ゆえだと思うのだが、効果は覿面。身体は正直だとあらためて思う。

何とも今日は暖かい一日だった。聞くところによると3月下旬の陽気なのだと。そういえば世間ではマスクをしている人が目立つ。てっきりインフルエンザか風邪かと思っていたら、もう花粉の季節なのだと。数年前に3年間完全菜食断行したお蔭か、この花粉症についても治ってしまった。食べるものを変えるだけでこうも体質改善が進むものなのか・・・。

余談はさておいて・・・、春らしい一日の締めくくりに久しぶりにキース・ジャレットを聴く。名作「ケルン」の前の、おそらくキースの公衆の面前でのソロ・パフォーマンスのほとんど初の記録だと思うが、聴いていて打ちのめされる。この完全即興ライブには、ロマンティシズム溢れるフレーズが登場すると思いきや、まるで前衛的な、プリペイド・ピアノを打ち鳴らしているかのような音を持つ部分も頻出し、2枚組2時間超の時間があっという間に過ぎ去ってしまう。どこのどの瞬間をとらえても、そこにはバッハもいて、ドビュッシーもいて、そしてショスタコーヴィチの影すら読み取れるのである。あらゆる音楽を消化し、自分のものに昇華してしまう天才ピアニスト&作曲家キース・ジャレットの真に初々しくも輝かしい傑作。

Keith Jarrett:Solo Concerts

・Bremen, July 12, 1973 Part 1 & 2
・Lausanne, March 20, 1973 Part1 & 2

このアルバムに寄せられたキース自身の言葉が奥深い。

「私は『芸術』を信奉しない男だ。その意味で私はアーティストではない。私は私が生まれる前に存在した音楽はある程度信ずる。その意味で多分私自身はミュージシャンとはいえない。私は人生を信じない。しかし、この問題を本当に深く考えた人なら同じ結論に達するであろう。私は自分で創造できる男だとは思わない。しかし、創造への道は目指しているつもりである。私は創造の神を信ずる。事実このアルバムは、私という媒体を通じて、創造の神から届けられたものである。なし得る限り純粋度を保ったつもりである。こうした作業をした私は何と呼ばれるべきであろうか。創造の神が何と呼んだか、私は覚えていないのである」

かっこ良すぎる!!そしてこの言葉はある意味そのまま(特にピアノ音楽を作曲するときの)ショスタコーヴィチにも当てはまるのではあるまいか。(キースがブレーメンで即興パフォーマンスを行っていたちょうど3日後の3月23日からショスタコーヴィチは名作弦楽四重奏曲第14番を1ヶ月で書き上げている。強烈な体調不良の中にもかかわらず)


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。

岡本さんが「合気道」を学ばれていることについて、全面的に敬意を表したいです。「合気道」は、薄っぺらいスピリチュアルとは一線を画していると信じているからです。

合気道について私は経験が無く、あくまでも外側から理解するだけなのですが、安易に「精神世界」という括りだけで理解したくはないです。
先日、図書館で〈合気道 「抜き」と「呼吸力」の極意―相手を無力化する神秘の科学 井上 強一 著〉
http://www.amazon.co.jp/%E5%90%88%E6%B0%97%E9%81%93-%E3%80%8C%E6%8A%9C%E3%81%8D%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C%E5%91%BC%E5%90%B8%E5%8A%9B%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%A5%B5%E6%84%8F%E2%80%95%E7%9B%B8%E6%89%8B%E3%82%92%E7%84%A1%E5%8A%9B%E5%8C%96%E3%81%99%E3%82%8B%E7%A5%9E%E7%A7%98%E3%81%AE%E7%A7%91%E5%AD%A6-BUDO%E2%80%90RA-BOOKS-%E4%BA%95%E4%B8%8A/dp/4809408078/ref=sr_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1330127270&sr=1-3
という本を借りて読みましたが、これは理論が具体的で非常に説得力があり、門外漢の素人にもじつに分かりやすかったです。

「瞑想」についてもカッコいい響きの言葉ですが、多くの方々は「下手の考え休むに似たり」の域を出ていないのではないかと思います。何が本筋か見極めがつかないうちは「瞑想」=「休む」効果でしかないのでは。それは、私の数年に及ぶ座禅体験からの実感です。

ずっと自分軸についても考えていますが、「軸」とは自分の長年染み付いた思考癖みたいなもので、客観的に第三者が見たら、誰の自分軸でも、穴や盲点や欠陥だらけなんだと思います。だから、自分を客観的に外側から俯瞰して批判してもらい、良くも悪くも自分では気付かない癖を把握することは、とても大切ですね。ゴルフでもスキーでもテニスでも野球でも楽器の練習でも(合気道でも)、自分では正しいと信じてきた「軸」も、他人がそのフォームを見たら間違いだらけだったということは、普通によくあることですね。

キース自身の言葉、興味深いですね。

>私は創造の神を信ずる。

創造の神とは、まさにミューズの女神たちのことですね(笑)。

そして、人の心の中には、神も仏も悪魔も鬼も同居している、それが真実なのだと思います(岡本さんの心の内にも、冷酷な天使と優しい悪魔が同居しています・・・笑)。

ご紹介のCD、私も大好きです。まだ「淡交」といった聴き方しか出来ていませんが、岡本さんのご感想に共感しました。今日、CD棚の奧から引っ張り出して、もう一度聴き直してみたいです。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
合気道はやればやるほどその奥深さに感動します。
本当に相手に効く時は、まったく感じないくらいに自分が脱力状態になっているんです。
先生曰く、感じるということはぶつかっているということだそうです。なるほどです。
実際に本日も手取り足取り教わりながら体感しましたが、実際にその通りでびっくりしました。
おころで、雅之さんが読まれた合気道の井上先生は僕の先生の先生でして、入門以来何度かお会いさせていただいております。体感だけでなく理論的にしっかりしているところが合気道の凄いところだと僕も思います。
ちなみに、本日9級の昇級審査を受けてまいりました。審査となると相変わらず緊張し、身体が固まってしまいますが(笑)。

>何が本筋か見極めがつかないうちは「瞑想」=「休む」効果でしかないのでは。
>自分を客観的に外側から俯瞰して批判してもらい、良くも悪くも自分では気付かない癖を把握することは、とても大切ですね。

瞑想についても、自分軸についてもおっしゃる通りですね。「何が本筋かを見極める」、要は自身を客観的に見つめるということだけだと思います。

>人の心の中には、神も仏も悪魔も鬼も同居している、それが真実なのだと思います

はい!!
そういえば、宇野功芳著「音楽には神も悪魔もいる」なんていう本が昔ありましたね(笑)。

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