ヴィヴァルディを観ながらひとりごと

「思い込み」とか「妄想」とか「空想」とか、いろいろな言葉があるけれど、そういったもの一切合財は自分が勝手に作り出しているもので、しかも自分の思考が現実化するのだとしたら、今目の前に起こっていることはすべて「幻想」なのかなと少し考えた(ネガティブな意味ではなく)。無理をしなくてもいいし、背伸びもしなくていいし、ありのままでいいのに、何だかついつい競争に巻き込まれ、結果的に思わぬ方向に舵を切られ、マイナスのスパイラルに入り込んでしまう。もうそういう人工的な、あるいは恣意的な流れは堰き止めようと思っているのについつい悪い癖が出る。
どうすれば良いのか?
自分の内なる声に正直になることだ。答は外にあるのでなく自分の内側にある。
静かに内側の声に耳を傾けてみる。静寂はとても大きな後押しをするが、時には小さく鳴る音に身を委ねてみるのもいいかも。

ユリア・フィッシャーがアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズと収録した「四季」の映像を観る。明日の講座で使用予定のDVD。
この音盤の特長は、ウェールズの四季の風景を中心にしたディレクターズ・カットと演奏そのものを収録したパフォーマンス・バージョンの2種が選択できるところ。
講座では当然パフォーマンス・バージョンを観ていただくつもりだが、今夜はあえてディレクターズ・カットを。

ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集「四季」作品8-1~4
ユリア・フィッシャー(ヴァイオリン)
アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ(2001.7収録)

画面に映し出される英国ウェールズのナショナル・ボタニック・ガーデンの植物たちの美しさを感じるだけで心が休まる。そしてそこにはユリア・フィッシャーによる正統的ヴィヴァルディ演奏が・・・、まるでたった今生み出されたかのように。
女性的柔和さと男性的強靭さと。何とも両性具有的ヴィヴァルディ!!鮮烈だ。

音楽を聴く行為は、あるいは演奏する行為は(僕は演奏できないけれど)そもそも感じるものだというのに、いつもそれについて「考えてしまっている」自分に気づく。一旦ニュートラルに、つまりゼロに戻してやり直してみるかな・・・。


3 COMMENTS

雅之

おはようございます。

>何だかついつい競争に巻き込まれ、結果的に思わぬ方向に舵を切られ、マイナスのスパイラルに入り込んでしまう。もうそういう人工的な、あるいは恣意的な流れは堰き止めようと思っているのについつい悪い癖が出る。
どうすれば良いのか?
自分の内なる声に正直になることだ。答は外にあるのでなく自分の内側にある。

そのお考え自体も完全な思い込みなんですよね。小さい、小さい!!
競争に巻き込まれることは、地球の生態系から考えれば極めて自然です。食うか食われるかの競争が無い世界のほうが、よほど「人工的」「恣意的」です。
そして、心配されなくても、「人工的」や「恣意的な流れ」だって、れっきとした大自然の一部なのです。悩める人間だって大自然の一部だという事実に気付かれないと・・・。

今目の前に起こっていることがすべて「幻想」だとしたら、自分という存在自体も「幻想」かもしれませんよ。私が岡本さんのことを実在しない私の頭の中にある空想の産物だと信じることは充分可能ですし、岡本さんが私について同様に考えることもまた充分可能です。

>そもそも感じるものだというのに、いつもそれについて「考えてしまっている」自分に気づく。

そのことの何がいけないんでしょうか?(笑)

心配されなくても、岡本さんは私がこうした論争を仕掛けると、いつだってすぐに思考停止になるでしょ(笑)。

感性と理論(右脳と左脳?)は車の両輪で、両方同じくらい大切だと私は思います。

図解 DVD読本
http://www.amazon.co.jp/%E5%9B%B3%E8%A7%A3-DVD%E8%AA%AD%E6%9C%AC-%E5%BE%B3%E4%B8%B8-%E6%98%A5%E6%A8%B9/dp/4274036065/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1342213016&sr=1-1

DVDやBDプレーヤーだって、LED電球だって、大自然の造形物です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%83%A0

「考えてしまって」凝り固まりやがて思考停止に陥る岡本さんも、私から眺めれば、それ自体が偉大な大自然がもたらした造型の美なのです。

言い換えれば、岡本さんも、神がお創りになった矛盾に満ちた芸術作品(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
励ましのお言葉ありがとうございます。
右に行くか左に行くか少し立ち止まりながらいろいろと考えていたのですが、そのことを少々デフォルメしながら書かせていただきました。必ず雅之さんからこういう反応が来るだろうなと想定しつつ(笑)。
雅之さんからコメントをいただくようになって、そしてお会いしてまる4年が経過しますが、漫才のような「阿吽の呼吸」に進化していることに感激を新たにします(笑)。

>いつだってすぐに思考停止になるでしょ
>感性と理論(右脳と左脳?)は車の両輪で、両方同じくらい大切
>それ自体が偉大な大自然がもたらした造型の美
>神がお創りになった矛盾に満ちた芸術作品

「矛盾」を謳歌する余裕と自信が必要ですよね。
右に行こうが左に行こうがそんなことはどちらでもいいのかな、と。
名言の数々、いつもありがとうございます。

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