
ベートーヴェン像という観点からいうと一昔もふた昔も前(1世紀前!)のものだが、ロランのベートーヴェンへの尊崇の念が随所に刻まれる講演だ。
われわれの幼い時からこの方、彼がいかにわれわれのために友であり、助言者であり、慰謝者であってくれたかは、私はそれを間に合わせの貧弱な言葉ではとうていいいあらわすことができない。けれどもあなた方—みずからそれを経験されたあなた方は、私同様にその事を知っていられる。私の言葉を聴いていられる方々の中の多くは、ベートーヴェンに助力を負うていられる。多くの方々は、試練の時に当たってベートーヴェンに助けを求め、彼の力強い親切な魂の中で、苦悩の和らぎと生きる勇気とを汲み採られて来たのであった。
ここで私がいいたいと思うことは、われわれを、あらゆる国々のわれわれを、この世で彼の生涯の後につづく世紀に生きたわれわれを、彼がいかに帰服させたかというそのことである。それはまさに彼が、ゲーテの次の言葉を彼自身の言葉として適用した日に予見していたとおりのことなのである。
「私が私の同時代者らから受けなければならなかった不当の損失の代償を、この次の時代、またその次の時代が二度か三度支払ってくれることだろう・・・」
「ベートーヴェンへの感謝」(ヴィーンにおけるベートーヴェン記念祭の講演)(1927)
~ロマン・ロラン著/片山敏彦訳「ベートーヴェンの生涯」(岩波文庫)P145
ロランのこの上ない感動と感謝は、ベートーヴェンへの最高の讃辞だ。
ゲーテとベートーヴェンのたった一度の邂逅は、もはや後にゲーテから振り返られることはなかったようだが、ゲーテの言葉は確かにベートーヴェンその人にも通じるものだと思う。
ベートーヴェンは苦悩の人のように思われている節があるが、実際はロランの言うように、苦悩を和らげ、生きる勇気を与えてくれた人だった。
楽聖の「聖」とは「耳が呈(とお)る」という字で成立していると聞く。
やはり彼は天と直接につながっていた唯一無二の音楽家だったのだ。
ヘンリク・シェリングを聴いた。
かつてのシュミット=イッセルシュテットとの録音も素晴らしいものだったが、ハイティンクとの再録盤もとても良い出来だ。
第1楽章のカデンツァはヨーゼフ・ヨアヒム作。
久しぶりに耳にしたシェリングのベートーヴェンは、オーソドックスな解釈ながら伸び伸びと旋律を歌う、美しきもの。
ハイティンクの指揮は賛否両論あるようだが、個人的にはまったく問題なし。
とにかくベートーヴェンの創作した音楽の素晴らしさが、全編に醸されており、半世紀以上前の録音であるにもかかわらず、極めて生々しい。
文字通り「ベートーヴェンへの感謝」に溢れる音楽の宝庫。
付録のロマンスもやはりオーソドックスな表現で、安心感抜群。
