クナッパーツブッシュの「ジークフリート牧歌」を観て思ふ

講座で「ラ・トラヴィアータ」(アンジェラ・ゲオルギュー主演のスカラ座での舞台を収録した映像)を鑑賞した。今回はとにかく全曲を観ていただきたく思い、僕の話はほんのわずかで終えた。時間を大幅にオーバーしてほぼ全曲(最後の1,2分が会場の関係でどうしても枠に収まり切らなかった)。皆さん微動だにせず釘づけ。やっぱりイタリア・オペラというのは日本人好みなのかな・・・。「現在」を舞台に、登場人物も「人間」で、しかもわかりやすい三角関係など恋愛を主題にしたものだから、老若男女問わず誰でも楽しめるというのがポイント。どちらかというと僕自身はもっと重厚で哲学的なワーグナーの世界を好むが、比較してみると音楽的重量も物語的重量も全く正反対といっていいほど異なるのに聴後の充足感にさほどの差異はない。若い頃はヴェルディなど毛嫌いしてどうにも避けていたのだけれど、実際に幾度もステージや映像に触れてみると面白さも十分に伝わり、舞台芸術としての完成度も高く、まったく侮れないことがわかる。

今日も思った。第2幕がこのオペラの肝であるが、この物語も結局は女性の純愛による救済がテーマになっていることが興味深い。純粋な慈しみの愛による奉仕、そして、死さえも厭わず思いを遂げようとする一途な愛。まったくこれは男性側の一方的な願望によって創られた作品のように思われなくもないが、実際には現代を変革してゆく機能としての「女性性の力」の重要性が既にこの時代から訴えかけられているようで、何度も膝を打つほど。

それにしても男はいつの時代も軟弱だ。女性への侮辱を追及され、自身の嫉妬と弱さを認めるアルフレード(認めるだけ偉いけれど)。愛しているがゆえの妬みではあることはわかるが、第2幕冒頭のアリアが何とも・・・(笑)。

私のヴィオレッタが、・・・はなやかなパーティーも捨ててしまってから、そして今はこの気持ち良い土地に満足して、僕のためにすべてを忘れてくれる。
ここであの人のそばにいると生き返ったような気がする。生まれ変わった愛の息吹に触れて、その喜びのうちに過去をみんな忘れてしまうのだ。
名作オペラブックス2ヴェルディ椿姫P57)

浅薄だ・・・、視野が狭すぎる(笑)。恋は盲目とはいえ、男の感情というのはこの程度だからやっぱり小さい。

ちなみに、ヴェルディが「ラ・トラヴィアータ」を書き上げた同じ頃のリヒャルト・ワーグナーは?
ヴェーデンドンク夫妻と知遇を得、すでに台本の出来上がっていた「ラインの黄金」の音楽を、まさにあの変ホ長調の和音を居眠りしながら思いついたというその頃で、秋には後の妻となるまだ15歳のコジマと初めて対面したその時期。

果たしてワーグナーは最初にコジマを見たとき見初めたのか?「恋心」というものではなかったかもしれないが、少なくとも何らかのインスピレーションはあったのかも・・・。さて、そんな空想を抱きながらワーグナーを聴こう。何年か前に突如リリースされた、ウィーン芸術週間における晩年のクナッパーツブッシュによる「ジークフリート牧歌」の映像

ウィーン芸術週間1963
ワーグナー:ジークフリート牧歌
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1963.5.21Live)

画質はまったく悪いが、鑑賞には十分耐え得る。何より巨人クナッパーツブッシュの指揮姿!!興味深いのはすらりとした想像外の両手の指!!(笑)しかも、指示を出す左手の指の動きの繊細なこと!!!強烈な眼力と嫋やかな左手の動きによってあの巨大なワーグナーの世界が再創造されていることを知った時(つまり、初めて観た時)震えた。ミュンヘン・フィルとの晩年の乾いた響きの録音とは違ってテンポも中庸、音が滑らかでため息が出るほど美しい。

 

 


人気ブログランキングに参加しています。クリックのご協力よろしくお願いします。
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む