山岡重信指揮読響の「日本の管弦楽作品1914-1942」(1972録音)を聴いて思ふ

nihon_no_kangengakusakuhin_1914-1942687そういえば大学生の頃、教授から一冊の本を薦められたにもかかわらず、真面に読むことを僕はしなかった。決して読書が嫌いなわけではなかった。けれども、音楽にせよ何にせよ当時西欧かぶれだったせいで、書籍に「日本文化の型」などというサブタイトルが付されていたことだけで端から拒否して読まなかったのである。実に若気の至り。
ルース・ベネディクトの著した「菊と刀」。一度も来日経験がないままに書かれたこの本は、あの頃の日本という国を知る上で、そして当時の日本人の風習なるものを知る上でとても貴重な資料。それにしても、ここに書かれてある日本らしさ、日本人らしさをもはや失った僕たちの現在、そして未来は果たしてどうなのだろう、そんなことをあらためて考えさせられる良書だ。
第9章「人情の世界」には次のような描写がある。

日本人の最も好むささやかな肉体的快楽の一つは温浴である。どんなに貧乏な百姓でも、またどんなに賤しいしもべでも、富裕な貴族と全く変りなく、毎日夕方に、非常に熱く沸かした湯につかることを日課の一つにしている。
ルース・ベネディクト/長谷川松治訳「定訳菊と刀―日本文化の型」(現代教養文庫500)P205

これについては今も昔と変わることはないだろう。僕たちの芯から染みついた習慣だと思う。

睡眠もまた、日本人の愛好する楽しみである。それは日本人の最も完成された技能の一つである。彼らはどんな姿勢ででも、またわれわれにはとても眠れそうに思われないような状況のもとにおいても、楽々とよく眠る。このことは多くの西欧の日本研究家を驚かせた事柄である。アメリカ人は不眠と精神的緊張とをほとんど同意語と考えている。
~同上書P207

今や信じられない記述。なるほど、睡眠を削ってまで齷齪と働くということはかつてはなかったのかも。戦後70年を経て、残念なことに日本は完璧に西洋化してしまった・・・。

ものを食うこともまた、身体を温めることや眠ることと同じように、楽しみとして大いに享楽される骨休めであると同時に、鍛錬のために課せられる修業でもある。余暇行事として、日本人は後から後からいくらでも料理の出てくる食事を楽しむ。そのさい、一度に出される料理はほんのティー・スプーン一杯ぐらいのわずかな分量であって、料理は風味だけでなく、外観の点からも賞玩される。しかし、ながら、そのほかの場合には、訓練ということが大いに強調される。
~同上書P209

繊細な懐石というものの妙。日本の食について(断つことも含め)当時の欧米の人々はどう思ったのだろう?

日本の管弦楽作品1914-1942
・尾高尚忠:日本組曲(1936/38)(1972.1録音)
・平尾喜四男:交響詩曲「砧」(1938)(1971.12録音)
・深井史郎:パロディ的な4楽章(1933/36)(1972.7録音)
・伊福部昭:土俗的三連画(1937)(1972.2録音)
・早坂文雄:左方の舞と右方の舞(1942)(1971.12録音)
山岡重信指揮読売日本交響楽団

明治以降、富国強兵の下、日本は西欧諸国に追いつけ追い越せと獅子奮迅した。挙句は軍国主義に傾斜し、自らの首を絞めることになるのだが、戦前戦中の管弦楽作品には、憧れの欧州の雰囲気と日本古来の土俗的なるものが見事に融和し、醸される。
僕たちはあらためて「日本的なるもの」を取り戻さねばならぬのではないのか?
「日本の管弦楽作品1914-1942」を聴いて、そんなことを思った。

妾を蓄えるだけの余裕があるのは上流階級の人間に限られているが、たいていの男子はいつか一度は芸者や娼婦と遊んだ経験をもっている。そのような遊興は全く大っぴらに行なわれる。妻が夜遊びに出かける夫の身支度をしてやることもある。また夫が遊びにいった娼家から妻の所へ請求書を回すこともあるが、妻は当然のことと心得て支払いをする。
~同上書P214

何という大らかさ!
フランス音楽から影響を受けたであろう尾高尚忠の「日本組曲」の美しさ。あるいは、深井史郎による「パロディ」の粋。第2楽章「ストラヴィンスキー」の愉悦、また第3楽章「ラヴェル」の知的な遊びに心動く。

同性愛もまた、伝統的な「人情」の一部分をなしている。旧時代の日本においては、同性愛は、武士や僧侶のような、高位の人びとの公認の楽しみであった。明治時代になって、日本が西欧人の意を迎えようとして、多くの習慣を禁止したさいに、この習慣も、法律によって処罰すべきものと定めた。ところが今日もなおこの習慣は、あまりやかましく言うには当たらない「人情」の一つとされている。
~同上書P215-216

伊福部昭の「土俗的三連画」は、どの瞬間も懐かしい日本的情緒に溢れ、聴き応え十分。第3楽章「バッカイ」では、エニドの「葬列」を相変わらず思い起こされる。

西欧のシステムを借りながら、あくまで独自の世界を追求しようとした戦前・戦中の日本人作曲家の作品はいずれもが素晴らしい。

 

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3 COMMENTS

雅之

※余談

やっぱり、昔の日本と何が一番違うかといえば、夜の暗さなんですよね。

子どもの頃、夜、田舎のトイレに行くのが本当に怖かったです(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様

そうそう、昔は本当に暗かったですね。
特に僕の実家は山奥ですからトイレも外にありましたから、おっしゃるように子どものときはなかなかひとりで行けなかったことを思い出しました。(笑)

「小泉八雲集」、僕もあらためてひもときたくなりました。

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