カザルス ホワイトハウス・コンサート(1961.11.13Live)

地球の動きと、宇宙におけるその位置づけについて、基礎的データをいくつか確認しておこう。

・地球は、垂直に対して約23.5度傾いており、4万1000年かけてこの角度からそれぞれに側にさらにプラス・マイナス1.5度ほど角度を変える。
・地球が歳差運動の一周期を完了するのに、2万5776年かかる。
・地球が地軸のまわりを一周するのは、24時間。
・地球が太陽のまわりを一周するのは、365日(実際には365.2422日)。
・季節に一番大きな影響を与えるのは、公転軌道上のいろいろな地点において、太陽光線が地球に当たる角度。

もう一つ確認しておきたいのは、季節が始まることを示す、4つの重要な天文学的瞬間だ。古代人には非常に大きな重要性があったこれらの時(あるいは方位点)とは、それぞれ冬至、夏至、春分、秋分だ。北半球では、冬至の日、つまり日射時間が一番短い日は12月21日であり、一番長い夏至は6月21日になる。一方、南半球ではまったく逆である。冬は6月21日に始まり、夏は12月21日に始まる。
春分、秋分は対照的に、1年の内で、地球上どの地点でも夜と昼が同じ長さになる日だ。しかし北半球で春の始まりを示す日(3月20日)は、南半球では秋の始まりを示し、北半球で秋の始まりを示す日(9月22日)は、南半球では春の始まりを示す。
微妙に変化する季節を区切る、至点(冬至、夏至)や分点(春分、秋分)は地球が傾いているために現れる。北半球の夏至は、公転軌道上において、北極が最も太陽に「近づいて」いる時だ。6か月後の冬至は、北極が太陽から最も「離れている」時になる。また、春分と秋分に昼と夜が地球上どこでもまったく同じ長さになるのが、地球の傾いた地軸が太陽に対して真横を向くときだということは、理論的に言って明らかである。
さて、天空の仕組みが織りなす、奇妙で美しい現象を見てみよう。

グラハム・ハンコック著/大地舜訳「神々の指紋(上)」(翔泳社)P310-312

果たしてこれはだれの仕業なのか?
古代人はそれを神と言った。あるいは「サムシング・グレート」と呼ぶ人もいた。
いずれにせよ、そういう設計図を書いた設計者がいるはずだ(もちろんそれは人格ではない)。そういう「働き」が歴と存在しているだろうことは疑う余地がない。

陽の気の最も高い日の翌日、そして、夏至の日の前日。

パブロ・カザルス「ホワイトハウス・コンサート」(1961.11.13Live)を聴いて思ふ パブロ・カザルス「ホワイトハウス・コンサート」(1961.11.13Live)を聴いて思ふ

冷戦時代のど真ん中、パブロ・カザルスがJ.F.ケネディ大統領の招きで、ホワイトハウスでコンサートを開いた際の貴重なドキュメント。
すべての瞬間に真の世界平和を希求したカザルスの信念と想いが込められる。
(例によってカザルスの渾身の唸り声も記録されているが、実にリアルで、その場に居合わせ、目の前で巨匠の演奏を聴いているかのような錯覚に襲われる)
(奏者の息遣い、譜めくりの音までがきちんと記録されているのがまたリアル)

選曲が素晴らしい。
夏至の前日に聴くメンデルスゾーンの美しさ。

青年フェリックスの天才はここでも十分に発揮される。
ピアノ三重奏曲において、3つの楽器がそれぞれの役割を見事に果たし、同時にカザルスの信念に共感してか、ホルショフスキーのピアノも、またシュナイダーのヴァイオリンも、どれほど愛情に、そして癒しに溢れていることか。

音楽はどこまでも中庸で、出しゃばらず、引っ込まず、ライヴとは思えない、否、ライヴならではの熱気と集中力をもって奏でられる。

パブロ・カザルス「ホワイトハウス・コンサート」
・メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲第1番ニ短調作品49
・クープラン:チェロとピアノのための演奏会用小品
・シューマン:アダージョとアレグロ変イ長調作品70
・カタロニア民謡(カザルス編):鳥の歌
パブロ・カザルス(チェロ)
ミエチスラフ・ホルショフスキー(ピアノ)
アレクサンダー・シュナイダー(ヴァイオリン)(1961.11.13Live)

僕たちの身体を動かしているその正体は何か?
魂という、あるいは霊性ともいう。
何にせよ前述の宇宙の働きとまったく同質のものだ。
そして、おそらく音楽は、作曲家を媒介にして、命、霊性と同種の働きによって生み出されたものだ。

平和主義者パブロ・カザルスの身体を借りて創造されたメンデルスゾーンの、クープランの、あるいはシューマンの素晴らしさ。そもそも巨匠の代名詞となっている「鳥の歌」に至っては、こんなにもヒューマニスティックな、心の琴線に触れる音楽が他にあろうかと思えるほど。

一世一代のパフォーマンスが残され、60余年を経た今も耳にすることのできる奇蹟。
録音という文明によって生み落とされた技術あっての感動であり、感激。
科学のすべてを否定はしまい。
科学によって恩恵を被る現代人が、あらためて向き合わなければならないのは心そのものであり、さらに追究すると「信仰」ということになろう。
孔子のいう「仁義礼智信」。何より「信」というものが土台になって世界は成立していることを忘れてはならない。

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