ただひたすら音に溺れ、瞑想する。
ここでのグレン・グールドのピアノはとても清らか。そして、いかにもグールドらしいエクセントリックな奏法を多用せず、ベートーヴェンの音楽にひたすら、そして自然に没入する様子がうかがわれ、美しい。バーンスタインの指揮もピアノに寄り添い、想いがこもる。
日常的にベートーヴェンのハ短調協奏曲を僕はこれまで聴いてこなかった。
心の琴線に触れなかった作品だが、でもさすがに、こういう緩徐楽章を耳にすると思わず聴き入ってしまう。
第2楽章ラルゴの優しさ。いまだ「傑作の森」に入らない若きベートーヴェンの大いなる意思。あるいは、若きグールドの自然体の取り組み、発露。夜の暗い情念が沸々とたぎる第1楽章アレグロ・コン・ブリオもグールドの手にかかればどういうわけか明朗。
庭のちらつく燈は消えた。すべてが消えた・・・。
夜・・・淵・・・光もなく、本心もなく・・・ただ「存在」が。「存在」の陰闇貪欲な力。無上に力強い喜悦。張り裂けるばかりの喜悦。空虚が石を吸い込むように、全身を吸い込む喜悦。あらゆる考えを吸い尽す情欲の渦巻。暗夜のうちに転々する陶酔せる世界の、狂暴無稽なる「法則」・・・。
~ロマン・ロラン作/豊島与志雄訳「ジャン・クリストフ(2)」(岩波文庫)P148-149
ここにあるのはまさに「張り裂けるばかりの喜悦」。バーンスタインの音楽的なバックを得てグールドが無理なく戯れる。
夜・・・相交る息、溶け合う二つの身体の金色の生あたたかさ、いっしょに陥ってゆく恍惚の深淵・・・幾多の夜を含む夜、幾多の世紀を含む時間、死を含む時間・・・共にみる夢。目を閉じてささやく言葉、半ば眠りながら捜し合う素足の、やさしいひそやかな接触、涙と笑い、万事を空にして愛し合い、また虚無の眠りを分ち合う、その幸福、脳裏に浮ぶ雑然たる物象、鳴りわたる夜の幻影・・・。
~同上書P149
そして、かの第2楽章ラルゴ。それこそ「万事を空にして分ち合う幸福」。何と美しい。時間よ、止まれ!
・ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番ハ短調作品37
グレン・グールド(ピアノ)
レナード・バーンスタイン指揮コロンビア交響楽団(1959.5.4,5 &8録音)
さらに、終楽章ロンドの躍動。今こそ目覚めの時。そして、これこそ覚醒の音楽。
夜明けの光が、ぬれた窓ガラスをかすめる。生命の光が、懶い身体の中にまたともってくる。彼は目を覚ます。アーダの眼が彼を見ている。二人の頭は同じ枕の上にもたれている。二人の腕はからみ合っている。二人の唇は相触れている。全生涯が数分間のうちに過ぎてゆく、太陽と偉大と静安との日々・・・。
~同上書P149
ここでクリストフは徐に自問自答する。まるで、グレン・グールドの意志であるかのように。
私はどこにいるのか?そして私は二人なのか?私はまだ存在しているのか?私はもはや自分の一身を感じない。無限が私をとり巻いている。オリンポスの平安に満ち充ちた静かな大きい眼をしてる彫像、それの魂を私は今もっている・・・。
~同上書P149-150
グールドの奏するベートーヴェンの偉大なる第3協奏曲こそオリンポスの平安に満ちた彫像のよう。不思議なことにいわゆるグールド節が炸裂しないのである。
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「ジャン・クリストフ」読み返したいです。
私が初めて読んだのは中学生のころで、白井 健三郎さんが翻訳した旺文社文庫のダイジェスト版 でしたが、これは冗長な部分をカットした初心者にはじつに読みやすいものでした。思い出が詰まったお宝本。
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旺文社文庫が廃刊になったのは、あのころ集めて愛読していたのに、残念だったなあ。
もうひととのブログ、読みましたよ。
http://ameblo.jp/opus3/entry-12240056437.html
歴史的な貴重な音源を大切にせず叩き売りするレコード会社はクズですね(笑)。
何より「安売り」はやっぱり駄目だなと痛感します。
一方、支払う側。
「値切り」とでもいうのでしょうか、
他人から価値をいただくならば
それにふさわしい、そして、その時に支払える最大の
お金を出さないと
結果的に良いものにはなりません。
成果も関係も。
だから、廉価盤CDBOXセットなどには、特にまったく興味がありません(笑)。
>雅之様
「ジャン・クリストフ」は僕も高校生の時に読んで以来です。おそらく今読み返すともっと違った何かが得られるのだと思いますが、根気が・・・(笑)
あと、僕はつくづく矛盾してますね。
確かに雅之さんがおっしゃるとおりです。
しかし、僕などはその昔買いたくても買えないレコードがいっぱいあったので、その反動でついボックスを買ってしまいます。
何だか止められません。こと音楽に関する限り煩悩の塊です。
[…] おそらく本人には自覚はないのだろうが、ベートーヴェンのハ短調協奏曲の規範となったモーツァルトの同じくハ短調協奏曲を奏するグレン・グールドは十分に愉しんでいるように思われる。モーツァルトにしては小難しいこの巨大な逸品を、これほど明朗に、そして快濶に表現した例が他にあるのだろうか? […]