個人的には人工的な音響効果の付加などが今となっては気になるところ。
(映画音楽を聴かされているようだ)
世界から讃美を持って迎えられたジョン・カルショーの偉業も、60余年を経てしまえば違和感にもなるところか。それにやっぱりゲオルク・ショルティの音楽作りの、スケールの小ささに辟易してしまうのも確か。あくまで個人的な趣味嗜好の問題であろうが。
アルベリヒの呪いを目の当たりにし、神々は慄く。
そんな中、ついにヴァルハラ城が眼前に浮かび上がる。
ヴォータン
夕陽が赤々と輝いている。
その燃えるよな夕陽に、城塞が燦然と映えている。
今朝は薄明に包まれて
主のいない城塞は、崇高に魅惑的に目の前に立っていた。
朝から晩まで、骨折りと気苦労を費やし、
楽しむこともなく、ようやく城塞を手に入れた!
もうすぐ夜だ。夜の危険から、
城塞は我々を守ってくれる。
(深い感慨に浸かるかのように、決然として)
それでは城に挨拶しよう。
不安と恐怖のない城に!
(彼は改まってフリッカの方を向く)
わしの後に続け、妻よ!
ヴァルハラに一緒に住んでくれ!
フリッカ
その名前はどういう意味なの?
初めて耳にするような気がします。
ヴォータン
心配事が片付いた後に
思いついた名前だ。
その思いつきが現実のものとなった時、
その意味がお前にも明らかとなろう。
(彼はフリッカの手を取り、彼女と一緒にゆっくりと橋の方に歩いて行く。フロー、フライア、ドンナーも後に続く)
ローゲ(舞台前方にじっと留まって、神々を見送りながら)
彼等は、自分の絶対的な存続を信じているが、
すでに終末に向っている!
彼らと関わるのは、恥すら覚える。
再び燃えさかる炎に
是非とも変身したい、
かつて私を手なずけた彼らを滅ぼすためだ。
蒙昧な彼らと一緒に滅びるのは真っ平だ、
たとえ彼らが最高の神々であるとしても!
それは馬鹿げた考えではないと思うが・・・
よく考えるとしよう。私の計画は、誰にもわかるまい!
(彼は、気のない態度で、神々に同調すべくついて行く)
~井形ちづる訳「ヴァーグナー オペラ・楽劇全作品対訳集2―《妖精》から《パルジファル》まで―」(水曜社)P52
楽劇「ラインの黄金」第4場のクライマックス。
ヴォータンとフリッカのプライドあるやり取り、そしてローゲの狡猾な企みなど、人間社会の暗部を抉るような指環物語の最初に心が躍る。
デッカの誇る金字塔、ショルティ指揮ウィーン・フィルによる「ラインの黄金」では、ヴォータンをロンドンが、フリッカをフラグスタートが、そしてローゲをスヴァンホルムが務める。
繰り返し耳にするこの「指環」に最初に出会ったのはやはり大学時代の旧友の部屋だった。ちょうど40年前、コンパクト・ディスク普及前の当時にあって、アナログ・レコードのセットが棚にでんと収められていた。
《指環》の録音は、1958年に《ラインの黄金》で始まった。偉大なキルステン・フラグスタートは、彼女の長く輝かしいキャリアを終えようとしているところだったが、「デッカ・ボーイズ」とフラグスタートが呼ぶチームが《指環》に出演するよう説得すると、ついに彼女は《ラインの黄金》のフリッカを歌うことに同意した。
《ラインの黄金》では出番がなかった私は、この録音と同じ頃、ウィーン国立歌劇場に出演していた。ホテル・インペリアルの前で、私の偉大なアイドル、フラグスタートに出会ったとき、彼女は私に気がついて、前の晩オペラ座で《ドン・ジョヴァンニ》を見たと言い、私のドンナ・アンナを褒めてくれたので、私はびっくりし、とても嬉しかった。1955年、トリノでの《トリスタン》のラジオ中継のあとで、彼女はとても親切な手紙を送ってきてくれたのだが、少なくともその手紙へのお礼は伝えることができた。63歳という年齢でも非常に若々しく見え、肌はなめらかで、まるで新鮮な桃のようだった。シンプルで飾らない彼女は、ノルウェーの普通の女性そのもので、デッカ・ボーイズの偉大なアイドルであるのも不思議ではないと思った。
~ビルギット・ニルソン/市原和子訳「ビルギット・ニルソン オペラに捧げた生涯」(春秋社)P424-425
フラグスタートの最後の輝きとでもいうべき「ラインの黄金」におけるフリッカの歌唱に感服する。男たちの不遜な企みの中にあって何と堂々としたフリッカだろう。
さらに、ニルソンの手記の続きをひもとこう。
数日後、私は《ラインの黄金》の録音で、ローゲを歌うセット・スヴァンホルムに会った。彼もホテル・インペリアルに投宿しており、ショルティとのリハーサルから戻ってきたばかりで、少ししょげているようだった。彼はローゲ役をマスターしていると思っていたのに、いつの間にかいくつかの思い違いがまぎれこんでいたらしく、そこをすぐショルティに指摘されたという。
スヴァンホルムはもともと小学校の先生だったが、のちにはストックホルム王立歌劇場の総監督にまでなった人だ。いろいろな歌手から、まれに見る天才とか、ひどく細部にもこだわる人と聞いていたので、そんな人でもミスをショルティに見つけられたと聞くと慰めになる。
~同上書P425
猿も木から落ちる。完璧な人間などいない。
それはショルティだって同じこと。この録音の少し前、「ワルキューレ」の第1幕の指揮がクナッパーツブッシュに決ったと知ったとき、彼は相当落胆したらしい。
「というわけで、第1幕はミスター・クナッパーツブッシュにおまかせすることにしたよ」
後年のショルティは、笑ながらこの話をしたが、このときは言葉を失い、傷ついた。《ニーベルンクの指環》全曲が間近に迫っていることを、彼も、そして他の誰も、この時点では知らなかったのだ。
~ジョン・カルショー著/山崎浩太郎訳「レコードはまっすぐに―あるプロデューサーの回想」(学研)P233
録音にまつわる裏話が面白い。