ヴィントガッセン ニルソン メードル スチュアート ナイトリンガー グラインドル ベーム指揮バイロイト祝祭管 ワーグナー 楽劇「神々の黄昏」(1967.7.27&8.14Live)

ビルギット・ニルソンの回想が面白い。
特に、1960年代のバイロイト音楽祭にまつわる詳細な報告は、演奏そのものだけでなく、様々な人間模様が垣間見られて興味深い(何よりワーグナー家のパワーバランス、あるいは指揮者や歌手たちの表では見せない裏の顔など)。

ヴィーラントは、またもや超豪華なキャストを選出した。カール・ベームは、《トリスタン》の大成功に続き、《指環》の指揮者にも選ばれた。特にシュトラウスとモーツァルトの解釈にかけて世界的に有名なベームが、ワーグナーにも確実な手腕を示したことで、多くのファンを驚かせた。遅く引きずるようなテンポで、上昇するときに誇張したフォルティッシモになるクナッパーツブッシュ式《指環》ではなく、ベームのテンポはより速く、クナッパーツブッシュと比べ、オーケストラの響きは透明な明るさと明快さがあった。
ビルギット・ニルソン/市原和子訳「ビルギット・ニルソン オペラに捧げた生涯」(春秋社)P310-312

キャストが単に豪華なだけではなかった。ヴィーラント・ワーグナーのセンス、実に適材適所の慧眼あってのことだ。そしてまた彼は妥協を許さなかった。

ヴィーラント・ワーグナーは革が好きだった。少なくとも彼の最後の演出では、歌手は全員革の衣装を着せられた。イゾルデのときは3着の革の衣装、一幕では黒、二幕はばら色、三幕は黄色で、ブリュンヒルデの場合は、黒や白灰色から白までさまざまな革をまとった。
バイロイトは我慢できないくらい暑く、長く緊張を強いられる幕間には汗が滝のように背中から滴り落ちるほどで、ヴィーラントにもっと薄手の布地でと懇願したが、本当に辛いのに聞き入れてもらえなかった。1966年の《指環》のプレミエの際には、革のコスチュームを着た我々がどんなに辛いかをわからせるために、入院中の彼に革のネクタイを贈った。彼はその意味を理解し、非常に愉快な言葉で感謝した。

~同上書P317-319

そして、ヴィーラントはバイロイトの未来を悲観し、演出助手のニコラス・レーンホフに宛て次のように手紙を書いていたという。

ニルソンとヴィントガッセンが歌わなくなれば、店じまいしなければならないだろう。
~同上書P320

実際のところはそんなことはなく、ヴィーラント亡き後もヴォルフガングに引き継がれ、2024年の今もバイロイト音楽祭は開催されているのだから彼の不安は杞憂に終わったと言って良い。ただし、確かにヴィントガッセンとニルソンに匹敵するコンビは出ていないと思う。

ちょうどこの頃の、バイロイトにまつわる興味深いエピソードもある。

1965年、あるスキャンダルが新聞沙汰になった。そうでなくとも常に金を必要としているヴィーラントの22歳になる息子ヴォルフ・ジークフリート(愛称「ヴンミ」)が、友達に借りた車を壊した後、ヴァーンフリート荘の物置から小さな絵画を盗み出し、ミュンヘンのオークションに出品したのだ。オークションにかけられたのは、コージマの母マリー・ダグー伯爵夫人に献呈されたリストの肖像画で、アングルの直筆だった。すでに久しくこの絵を探していたヴィニフレートは、オークションのカタログの中に、2万5千マルクの値のついた肖像画が載っているのを発見した。彼女は肖像画の提供者を探り出すことに成功し、普通の祖母ならば決してしないであろうことをした。彼女は孫の行為をちょっとしたいたずらとして見逃すことを拒否し、所有物の返還を求め、刑事告発も辞さないと恫喝した。一族の遺産に関して、ヴィニフレートは妥協ということをしなかった。
ブリギッテ・ハーマン著/鶴見真理訳/吉田真監訳「ヒトラーとバイロイト音楽祭―ヴィニフレート・ワーグナーの生涯(下・戦中戦後編)」(アルファベータ)P291-292

あれもこれもリヒャルト・ワーグナーのこしらえた業の成れの果て(すべては因果律の中)なのだろうと思う。結局ここでもヴィニフレートとヴィーラントは骨肉の争いをすることになる(そのことがヴィーラントの寿命を縮めた可能性は高い)。結局オークションにかけられた絵画を取り戻すのに相当の金額を要することになり、しかもそれは借金という形で賄われたようだ。そして何とバイロイト音楽祭の日本引っ越し公演でその借金の埋め合わせをするべくヴィーラントは計画(画策?)したのである(!)。

・ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」
ヴォルフガング・ヴィントガッセン(ジョークフリート、テノール)
ビルギット・ニルソン(ブリュンヒルデ、ソプラノ)
マルタ・メードル(ヴァルトラウテ、メゾ・ソプラノ)
トーマス・スチュアート(グンター、バリトン)
リュドミラ・ドヴォルジャコヴァー(グートルーネ、ソプラノ)
グスタフ・ナイトリンガー(アルベリヒ、バリトン)
ヨーゼフ・グラインドル(ハーゲン、バス)
マルガ・ヘフゲン(第1のノルン、アルト)
アンネリース・ブルマイスター(第2のノルン、アルト)
アニヤ・シリア(第3のノルン、ソプラノ)
ドロテア・ジーベルト(ヴォークリンデ…、ソプラノ)
ヘルガ・デルネシュ(ヴェルグンデ、ソプラノ)
ジークリンデ・ワーグナー(フロースヒルデ、メゾ・ソプラノ)
バイロイト祝祭合唱団
ヴィルヘルム・ピッツ(合唱指揮)
カール・ベーム指揮バイロイト祝祭管弦楽団(1967.7.27&8.14Live)

そんな問題とは無関係に音楽祭は進んで行く。そこに居合わせた聴衆もカール・ベームの音楽に心酔した。そして、ニルソンのブリュンヒルデに、あるいはヴィントガッセンのジークフリートに度肝を抜かれた。例によって推進力抜群の、壮絶な熱量を発する「黄昏」にワーグナーの毒を、途方もないエネルギーを思う(終幕の大団円「自己犠牲」の圧倒的素晴らしさ!)。

神話の原初性と心理的、否、精神分析的な近代性とのこうした混合以上に、ワーグナー的なものはなに一つとしてない。それは、神話によって清められた19世紀の自然主義である。然り、ワーグナーは外面的な自然、暴風雨や荒天、木の葉のざわめきや波間の燦き、炎の踊りや虹などの描写力という点で、並ぶ者なき画家であるばかりではない、心の自然、永遠なる人間の感情の偉大な告知者でもある。彼は清純という岩の周りに炎という恐怖を配する。根源的に男性的なものは、覚醒させて生殖するという自己の使命に駆られ、これを突破する。そして、おずおずと待ち望んでいたものを一目みるや、自分を生んだ神聖な女性的なものに、母に、助けを求めて突然叫ぶのである。
「リヒャルト・ワーグナーと『ニーベルングの指環』」(1937年11月)
トーマス・マン/小塚敏夫訳「ワーグナーと現代(第2版)」(みすず書房)P184

マンの洞察は実に堂に入る。
真我と仮我の葛藤を、神話を借りて描いたのがリヒャルト・ワーグナーの方法だったということだ。そして、カール・ベームの解釈は中庸というより、どちらかというと現実的な、より仮の世界を詳細に描く(明るいと言えば明るいが、神話的な重みという点では正直弱い)。
しかしながら、祝祭劇場に居合わせた聴衆はこの演奏を聴いて気絶したのではなかろうか。

過去記事(2019年5月1日)
過去記事(2017年6月29日)
過去記事(2013年7月16日)
過去記事(2010年3月23日)



コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む