谿博子の「ブリュートナーで弾くドビュッシー」(2016.4録音)を聴いて思ふ

「ヴィーノの門」における憂愁。ハバネラのリズムに乗って旋律はいたずらに右顧左眄する。この迷いこそが現世なのである。あるいは、「オンディーヌ」での異国情緒と美しく跳ねる主題との邂逅。幾分前衛的な「前奏曲集第2巻」の奇蹟。

若い頃、放蕩の限りを尽くした天才も、年齢を重ねるごとに俗世間から離脱し、大自然と一体になることを求めたようだ。いや、むしろやりたい放題やったがゆえの帰結こそが「自然に還る」ことだったのかもしれぬ。
「前奏曲集第2巻」に聴く美しさは、何ものにも代え難い、およそ人の手で成ったとは思えない神々しさ。

この時期から戦争直前まで、ドビュッシーの作品は油がのり、円熟し、純化されていきます。けんらんさにおいても、「価値」の堅実さにおいても、また、繊細で、軽快な、そしてあいかわらず辛辣なリズムにおいても、ドビュッシーの芸術は円熟しました。独特の完成度に達したのです。
マルグリット・ロン著/室淳介訳「新版ドビュッシーとピアノ曲」(音楽之友社)P84

1905年製ブリュートナーによる谿博子の演奏は、十分に思い入れのあるもので、音のひとつひとつを丁寧に響かせ、円熟のドビュッシーを美しく体現する。

ブリュートナーで弾くドビュッシー
・ベルガマスク組曲
・前奏曲集第2巻
―霧
―枯葉
―ヴィーノの門
―妖精たちはよい踊り子
―ヒースの茂る荒地
―風変わりなラヴィーヌ将軍
―月の光が降り注ぐテラス
―オンディーヌ
―ピックウィック卿をたたえて
―カノープ
―交代する三度
―花火
・エレジー
谿博子(ピアノ)(2016.4.7&8録音)

作曲家が愛用していたのはまさにブリュートナーらしいが、そういう事実を横に置いたとしても、谿博子の演奏は詩情に溢れ、ドビュッシーの本懐を見事に突いたもの。地に足のついた音楽は常に揺れ、そして飛翔する。彼の創造した音の連なりが、ピアニストの指とピアノを媒介にして宙に解き放たれていく様の何という美しさ、崇高さ。

永劫変わらぬ 蒼穹の 晴朗なる 皮肉は
打ちのめす、花々の如く 美しく 無頓着に、
無力な詩人を、己が天才を 呪いつつ
苦悩の 不毛なる砂漠を 横切っている男。
「蒼穹」
渡辺守章訳「マラルメ詩集」(岩波文庫)P52

ステファヌ・マラルメの衣鉢を継ぐクロード・ドビュッシーの魂。
「ベルガマスク組曲」に見る、メルヘンチックな歌の恍惚。谿の奏でるブリュートナーがうねる。第2曲「メヌエット」の愉悦、また、第3曲「月の光」の繊細かつ、すべての業を洗い流すような潔さ。音塊はゆったり、ゆっくり深呼吸するかのように前進し、光輝放つ。谿博子の真骨頂。

ブリュートナーと言えば映画「レット・イット・ビー」でポール・マッカートニーが弾いていたことを思い出した。やっぱりきれいだ。

 

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