マーラーの先取りのような、第3楽章アンダンテ・エレジアコを中心としたシンメトリカルな構成の交響曲。初演当時から評判は決して高くなく、演奏機会も極めて少ない。それでもチャイコフスキーらしい、ロシア的な憂愁と土俗的愉悦に満ちるその音調と、5楽章の革新的な、何より第1楽章の序奏が「葬送行進曲」であるそのフォルムに作曲者の挑戦が感じられ、とても魅力的な作品だと僕は思うのである。
第1楽章の長調に転じての主部の、いかにもチャイコフスキーらしい堂々たる第1主題とオーボエ独奏によるメランコリックな第2主題の美しさ。そして、コーダの前進性と熱狂は後の作曲者の精神を体得。チャイコフスキーの魂に心から共感するスヴェトラーノフならではの為せる技。
第2楽章は、チャイコフスキーお得意のワルツの前身であるドイツ舞曲をモチーフとするいわばスケルツォ。何とも優雅でほのぼのとした音楽に、やはり後のマーラーへの影響を思わずにはいられない。
第3楽章アンダンテ・エレジアコの、木管群によるアンニュイな表情の第1主題と、弦楽器中心に奏される第2主題の憧憬の対比にチャイコフスキーのメロディ・メイカーとしての天性の才能を想う。何という絶唱!!ここでのスヴェトラーノフの旋律の歌わせ方、表情付けの見事さ。
チャイコフスキー:
・交響曲第3番ニ長調作品29「ポーランド」(1993.6.11-12録音)
・スラヴ行進曲作品31(1992.1.22-25録音)
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団
第1楽章&第2楽章が表だとするならば、第4楽章&終楽章は裏である。作曲者本人はおそらくそんな意図は持っていなかっただろう。しかし、前半2つの楽章が非常に現世的なニュアンスを湛えるのに対し、後半2つの楽章には、どこかおどけた(例えばマーラーが第1交響曲の第3楽章で表現しようとした)あの世での舞踏と同様の「魔物」、あるいは(マーラーの終楽章にもある)妙に解放的であるがゆえの来世的な哀しみを僕は感じるのである。
初演時に最も酷評されたとは信じ難いが、終楽章アレグロ・コン・フオーコは、「現在」を表わす第1楽章に対する回答であり、ここには「未来」への希望が刻まれている。プレストのコーダの強奏(ファンファーレ)はチャイコフスキーならでは。実に感動的。
ちなみに、「スラヴ舞曲」の重戦車の如くの主題提示と金管の咆哮、打楽器の轟音にロシアのオーケストラの壮絶な力量をあらためて発見する。愛国心に満ちるこの音楽を演奏するにスヴェトラーノフ&ロシア国立響の右に出る者なし。最高である。
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