ヴィルブラントの「モノ・トーンズ―静寂への12の練習曲集」(1992.3録音)を聴いて思ふ

作者が何を意図したのかは正直わからない。
これほど単調で単色の音楽が、果たして音楽として認められるのかどうなのか?
トーマス・ヴィルブラントの「モノ・トーンズ」と題する静寂の練習曲集を聴いた。

僕は、即座にキース・ジャレットが奏するグルジェフの作品集を想起した。
ヴィルブラントは聖なる調べを、息の中に見出そうとしたのかも。

自身によるライナーノーツには、リルケの「オルフォイスへのソネット」(1923)から「呼吸よ 眼に見えない詩」の一節が引用されている。

呼吸よ 眼に見えない詩よ
絶えず私自身の存在と引き換えに
純粋に交換された世界空間 その中で
私がリズミカルに生まれでる対重よ
富士川英郎訳「リルケ詩集」(新潮文庫)P194

息が命であり、世界と自身の内側をつなぐ機能であることをリルケは知っていた。
そして、あくまで観念的にヴィルブラントもそのことをあるとき身をもって理解したのだと思う。彼はまた、アメリカ・インディアンの次の諺を同時に引用する。

目は魂の鏡だ。
一方で、耳は魂の出入口だ。

「モノ・トーンズ」が、古典に喚起された哲学的思考の音化と作曲者は言いたいのだろうが、果たしてピアノで奏する意味がどれだけあったのか?それならばむしろ、実際の「静寂」の中に在った方がより「息」を感じられるのではなかろうか。
それでも僕は繰り返し挑戦する。
いったい何の意味があるのかを探ろうと。

ヴィルブラント:モノ・トーンズ―静寂への12の練習曲集
・モノ・トーンズ2
・ダイアローグ5
・モノ・トーンズ1
・ダイアローグ3
・モノ・トーンズ5
・ダイアローグ6
・スティル1
・スティル2
・モノ・トーンズ3
・モノ・トーンズ4
・ダイアローグ2
・モノ・トーンズ6
トーマス・ヴィルブラント(ピアノ)
シャルル・エルネスト(第2ピアノ)(1992.3録音)

独白と対話と静寂と。
なるほど、眠りを誘発する「モノ・トーンズ」は、睡眠導入のための音楽であると解釈すれば納得がゆく。それに、試しに瞑想時のバックグラウンド・ミュージックに使用したらどうだろうかと試してみたところ実にマッチする。
特に、自身の呼吸を意識しながら、ただひたすら内面にフォーカスするときの魂の震撼を感じよと。

音楽に意味などないのかもしれぬ。
聴く者が何を感じ、何を思い、どう意味づけるかしかない。

 

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2 COMMENTS

雅之

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