ふたつよいこと さてないものよ~ポゴレリッチのベートーヴェン

ポゴレリッチが若い頃に録音したベートーヴェンの最後のソナタとシューマンの交響的練習曲を久しぶりに聴いて感じたこと。
確かに、ここには現在のポゴレリッチの姿の片鱗が垣間見える。
いや、というよりショパン・コンクールで騒がれたあの当時から「本質」―それは内面的資質という意味でも外面的スタイルという意味でも―は何も変わっていないということを証明する。爆撃のような低音音塊。どこか天上で打ち鳴らされるかのような、飛び抜けてエネルギー・レベルの高い高音の鐘の音。
おそらく当時は師であり妻でもあったアリザ・ケゼラーゼ女史の影響下にあり、ピアニストとしてのバランスは取れていたのだろう。しかし、バランスというのはある意味個性を封印する。ひとりの芸術家として世間からもはっきり認められていたあの頃は本人と妻との共同作業であり、決して彼ひとりの力量ではなかった。独りになり、レコーディングすらままならない状況になり、常に深い淵を彷徨い、思考し、答を探し続けたのであろう10数年だったのでは・・・。
僕は先日の2つのコンサートを聴いて、ようやく彼が闇を抜け、確固とした個性的な軸を見つけ始めたのだと直感した(いや、ひょっとするとまだまだ発展途上かもしれぬが)。
いずれにせよ、そのことにあらためて気づかせてくれたのが数日前のリストのソナタであり、そして、より確信をくれたのがこのベートーヴェンの第32番ソナタであり、シューマンのエチュードだったということである。

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番ハ短調作品111
シューマン:
・変奏曲形式による交響的練習曲作品13
・トッカータ作品7
イーヴォ・ポゴレリッチ(ピアノ)

ユング研究家の故河合隼雄氏の有名な言葉。河合氏は色紙にサインを求められた時、必ず次の言葉を添えられたという。
「ふたつよいこと さてないものよ」
奥深い箴言である。
要は、物事は二元的にではなく「ひとつとして」捉えなさいということだ。ある人にとって良いと思われることも別のある人にとっては決して良いとは言えないということが常々起こる。あるいは、あるひとりの人生も山があり谷がある。そう、表があれば必ず裏があるということ。ネガティブな要素があるからポジティブに生きることが可能なのである。

ポゴレリッチの演奏には、そういう表裏一体の「危うさ」が常につきまとう。
一時期、彼は鬱的状況に陥り、コンサートを開いても聴衆が納得できない、ありえないという演奏を披露してしまったということがある。しかし、僕はそれですら「個性」だと首肯する。なぜなら芸術家といえども神ではなく、人間だから。常に完璧であることなどありえない。そういうことすら「芸術」だと僕は思えるから。
その意味では、楽聖という別名をもちながらベートーヴェンも俗物であった。だからこそこの作品111のソナタが神々しいのである。ついに最後にすべてを包み込むという境地に達したルートヴィヒ。まだ20代半ばのイーヴォの壮絶で静謐なる演奏がそのことをいかにも物語る。
僕は確か5年ほど前、ちょうど発展途上のポゴレリッチの作品111をサントリーホールで聴いた。その時もやっぱり感動した。でももし、現在のポゴレリッチがこの曲を採り上げたらもっと透明で包含的な演奏になるのではないか、そんなことを夢想しながらこのアルバムを聴いている。

※シューマンの練習曲も彼ならではの解釈で面白い。精神を病む前のまだ若き頃のシューマンの音楽は陰陽を相対的に掴んでいて僕好み。


4 COMMENTS

雅之

こんばんは。

>僕は先日の2つのコンサートを聴いて、ようやく彼が闇を抜け、確固とした個性的な軸を見つけ始めたのだと直感した(いや、ひょっとするとまだまだ発展途上かもしれぬが)。

ポゴレリッチは岡本さんや私や、そんじょそこらのピアニストが思いつくようなちっぽけで近視眼的な軸とは次元が違うんだから、それこそ大きなお世話ではないでしょうか(爆)。 いつも言うように、失笑されますよ(笑)、「そういうあんたはどうなのさ!」ってね。

というわけで、

三井住友海上しらかわホール主催公演
イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル
2012年5月13日(日) 14:15開場/15:00開演
http://www.shirakawa-hall.com/detail_20120513.html

最高でした。ホールはほぼ満席、大盛況。演奏のスタートは少し遅れて15:05くらいでしたが、終了は17:18でしたので、東京公演とほぼ同じ演奏時間だったのではないかと思います。

私がショパンをあまり好きでないせいもあるのでしょうが、先日の岡本さん同様、リストのピアノ・ソナタに、圧倒的に衝撃と感銘を受けました。この曲って、これほどまでに深く巨大な曲だったとは・・・、もう言葉もありませんでしたね。

リサイタルを通じて、岡本さんがおっしゃるように、ほんとに聴衆に集中と緊張の持続を強いるピアニストですね。こりゃ、譜めくりの女性も、緊張感で大変だと思いました(笑)。

とにかく、素晴らしいリサイタルになりました。大成功、嬉しいです。

で、その後次の会場へ移動。

名古屋大学交響楽団 第102回定期演奏会
愛知県芸術劇場コンサートホール
2012年5月13日(日) 17:45開場/18:30開演
http://search-event.aac.pref.aichi.jp/p/event_card_kouen.php?eventNo=1020110001610011

近年の名大オケは益々レベルが高く、かつ、一回の演奏会に懸ける情熱は今回もアマオケ特有のリミッター知らず。

コンサートをハシゴした私にとっては、ポゴレリッチによる他のピアニストとは次元の違うリスト:ピアノ・ソナタの超名演を引き継ぐ形になり、まず、同じくリストのハンガリー狂詩曲第2番ニ短調(ミュラー=ベルクハウス編)を、名大オケの若い情熱に溢れた、これまた名演で。

マスネ:組曲「絵のような風景」は一服の清涼剤。爽やかで色彩感と迫力も兼ね備えた隠れた名曲を名大オケは気持ちよさそうに演奏していました。

そして、チャイコフスキー「悲愴」。危なっかしいところも少しだけありましたが、迫力に満ちた、さすがで素晴らしい演奏でした。昔からよく思うんですが、「悲愴」も実演で聴くべき曲ですね〜。感銘の度合が音盤で聴くのとまるで違います。

隠しテーマとして、本日「取り」の2曲、リスト:ピアノ・ソナタもチャイコ「悲愴」も同じロ短調。両演奏会ともアンコール無し(当然の見識)。もう、今日の私の午後は見事に首尾一貫していて見事な統一感、もう感銘、充実がいっぱいで満腹です(疲れた〜)。

※本日の結論
一日に、ふたつよいこと あるんだよ〜

ポゴレリッチと名大オケの「ロ短調」

>「ひとつとして」捉えなさいということだ。

返信する
岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
>それこそ大きなお世話ではないでしょうか

はい、まぁこれは文章の行きがかり上の常套手段ということでお許しください(苦笑)。

>この曲って、これほどまでに深く巨大な曲だったとは・・・、もう言葉もありませんでしたね。
>譜めくりの女性も、緊張感で大変だと思いました

名古屋公演も良かったですか!歴史的瞬間に立ち会えたことおめでとうございます。
東京の公演ではショパンの葬送の時に、譜めくり君が譜めくりのタイミングを一瞬外したようで、ポゴは一瞬止まってやり直しました。演奏終了後、楽譜を指して何やら小声で怒られていたように見えました(爆)。
しかしまぁ、彼の譜めくりストをするというだけで数年は寿命を縮めるんじゃないでしょうか。それくらいにスレスフルだと思います。

>近年の名大オケは益々レベルが高く、かつ、一回の演奏会に懸ける情熱は今回もアマオケ特有のリミッター知らず。

いいですねぇ。僕は名大オケは聴いたことがないので機会を見つけて聴いてみたいと心底思います。

>「悲愴」も実演で聴くべき曲ですね〜。感銘の度合が音盤で聴くのとまるで違います。

同感です。

>今日の私の午後は見事に首尾一貫していて見事な統一感、もう感銘、充実がいっぱいで満腹です

お疲れのことと思いますが、こんな贅沢はなかなかできないものですよ!羨ましい限りです。

>一日に、ふたつよいこと あるんだよ〜

なるほどー!!

返信する
雅之

〇〇と天才は紙一重っていうじゃないですか(笑)。

アマオケとポゴレリッチは、両方、危険な「レッドゾーン」を体験させてくれます。

「名人に定跡なし」という将棋の格言を、ポゴレリッチを聴いている時、ふと思い出しました。

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岡本 浩和

>雅之様

>「名人に定跡なし」という将棋の格言を、ポゴレリッチを聴いている時、ふと思い出しました。

なるほど。言い得てますね。

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