ユリア・フィッシャーによる素敵なヴィヴァルディの「四季」を視聴いただいた後、残り10分近くあったのでアンコールにお応えするべく春夏秋冬のどれが良いかお尋ねしたところ圧倒的に「冬」だった。講座中に「春」は都合3回も聴いたからもういいや、という思いも皆さんあっただろうが、「夏」でも「秋」でもなく「冬」とは。
もちろんそれは予想通り。「四季」の全曲を初めて聴いたという入門者であっても、やっぱりあの第2楽章「ラルゴ」の美しい旋律は忘れられないのだろうな・・・。
Passar al foco I di quieti e contenti (暖炉のそばで静かに過ごし、幸福な日々を思う)
Mentre la pioggio fuor bagna ben cento (外は雨、雨がすべてのものを潤す)
「冬」のラルゴ楽章に付されたソネットである。家の中と戸外との対比。そして、外の雨も決して鬱陶しいものではなく、万物の源たる「水」を描写する。なるほど、この音楽に惹かれない人などいまい。
ネット・サーフィンで興味深いサイトを見つけた。このラルゴ楽章の妙味は何気ない転調にあり、そのことが新鮮さを聴き手に与えるのだと。なるほど!!
いやはや、アントニオ・ヴィヴァルディについてもっと知りたくなった。
バランス的に独奏楽器が弱いようにも思えるが、当時の楽器の特性からするとこんなものなのかも。逆に言うとすべての楽器が溶け合って、しかもとても刺激的な表現によってこの通俗曲が生まれ変わったような印象を一聴受ける。
それと第5番「海の嵐」と第6番「喜び」が連続で聴けるのも嬉しい(第2巻分については所有しておらず、つまりボックスセットには収録されておらず未聴。聴いてみたいものだ)。
ソネットの朗読はなくもがな。(笑)
7月12日のブログ本文の話題
http://classic.opus-3.net/blog/?p=10593
>「嵐の中のドリッラ」シンフォニアは3楽章構成で、最終章に「四季」から「春」の第1楽章が調性を変更してそのまま使われているのである。
どうやら多作家とはいえ、ヴィヴァルディは自身の作品をいろいろと流用しているらしい(発表時期はほぼ同じだが、どちらが先なのだろう?やっぱり「四季」かな?)。
について、私もネット・サーフィンから・・・。
今回の件で、非常に勉強になり感謝しておりますサイト
http://www7a.biglobe.ne.jp/~omesys/Folder_Cultural/Folder_PrjClassic/Ex_Vivl_VnCon_4S.htm
から、
・・・・・・例えば今回聴いた『四季』の有名な「春」の第1楽章のトゥッティで奏されるフレーズは、『オラトリオ「勝利のユディト」』(1716年作)の終曲前のアリアの伴奏からの転用で、更にこれを『歌劇「テンペーのドリッラ」』(1726年作)の序曲と第1幕冒頭の劇中歌(=合唱曲)に転用して居ます。・・・・・・
なるほど、あった、みーつけた!!
Antonio Vivaldi: Dorilla in Tempe (RV 709-D) – I/I Coro: Dell’aura al sussurrar
http://www.youtube.com/watch?v=Ioy-Q0m1sww
The Czech Ensemble Baroque: Dorilla in Tempe (RV709) Vivaldi
そういえば、所有のCDでも聴けた!!
そよ風のささやきに〜バルトリ/ヴィヴァルディ・オペラ・アリア集
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%9D%E3%82%88%E9%A2%A8%E3%81%AE%E3%81%95%E3%81%95%E3%82%84%E3%81%8D%E3%81%AB%EF%BD%9E%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AA-%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%9A%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%A2%E9%9B%86-%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AA-%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A2/dp/B00005FKST/ref=sr_1_1?s=music&ie=UTF8&qid=1342300277&sr=1-1
前述の優れてためになるサイトより再度。
・・・・・・特に1726年に前述の『歌劇「テンペーのドリッラ」』に出演したマントヴァ出身の少女歌手(=メゾ・ソプラノ)のアンナ・ジロー -当時彼女は16歳、ヴィヴァルディは48歳- と親密に成り、彼女は「赤毛の司祭のアンニーナ」と呼ばれる様に成り様々な噂が飛び交いました(△2)が、その「♂♀の仲」の真相は不明です...(-j*)。・・・・・・
http://www7a.biglobe.ne.jp/~omesys/Folder_Cultural/Folder_PrjClassic/Ex_Vivl_VnCon_4S.htm
岡本さんと同年齢で、年の差恋愛の噂話とは、ヴィヴァルディもなかなかやるやないか!!
岡本さんも負けずに、お盛んかい?(爆)
Oratorio RV 644 – JUDITHA TRIUMPHANSのどこに春の旋律が含まれているかは探したけど発見できず。
Antonio Vivaldi – Oratorio RV 644 – JUDITHA TRIUMPHANS.wmv
昔テレビで黛敏郎が、ドリカムのヒット曲の転調について、作曲技法の稚拙さを批判していた。
私は今でもちっともそう思わないし、当時ドリカム、好きだったけど・・・。
晴れたらいいね
http://www.youtube.com/watch?v=2wJzwsVfqo0
決戦は金曜日
また引用
http://hpcgi3.nifty.com/casavecia/bbs2/wforum.cgi?mode=allread&pastlog=0002&no=1058&page=60&act=past
より
ヴィヴァルディ研究家のマルク・パンシェルルは、次のように書いています。
「ヴィヴァルディという人はいろいろの対照的な要素を持っているように思われる。
弱くて病気がちで、そのくせ激し易い性格、
すぐにいらいらしたり、またすぐに静かになったり、
世俗的な考え方から迷信的なまでの信仰に早変わりすること、
必要な時は従順で、しかし辛抱強く、神秘主義的であるかと思うと、
一定の利害関係が働くとふたたび現実の世界へ戻る準備ができていること。
また事務を扱うことがけっして下手ではないことなどである。
しかし何よりもまず、彼を語る場合、音楽にとりつかれ、かり立てられ、
ド・ブロスの言葉によれば “非凡な曲を気違いのように作曲する人”
であったことをあげなければならない。」
何だか岡本さんにとても似ていますね。作曲のところを仕事に置き換えれば・・・(笑)。
>雅之様
おはようございます。
いろいろとありがとうございます。
しかし、本当に今は便利な時代ですね。
短時間にこれだけの情報が個人で収集できるというのはすごいことです。
勉強します。
>黛敏郎が、ドリカムのヒット曲の転調について、作曲技法の稚拙さを批判
へぇ、そうなんですね!僕も雅之さん同様良いと思うんですが・・・。
>何だか岡本さんにとても似ていますね。作曲のところを仕事に置き換えれば
あーー、しかし弱くないし病気がちでないし、いらいらもあんまりしませんがね・・・(笑)
>短時間にこれだけの情報が個人で収集できるというのはすごいことです。
だから、ほんとCDなんて馬鹿馬鹿しくてもういらないんですわ。本当に手元に残したいのは200枚くらい。あとは全部捨てたいです。
特にヴィヴァルディのオペラのCDなんて、今後も絶対に買いませんから・・・。
>しかし弱くないし病気がちでないし、
ああ、それは岡本さんが日頃からブログで、すぐ、体調が悪いだの、胃腸が悪いだの、二日酔いだのなんだのと、弱音を吐いて書かれているから、私のような若い後世の「岡本研究家」はそう短絡的に解釈するしかないのです。
>雅之様
こんばんは。
>CDなんて馬鹿馬鹿しくてもういらないんですわ。
そういうことなんですね。煩悩も吹き飛びます。
>私のような若い後世の「岡本研究家」はそう短絡的に解釈するしかない
ああー、それは失礼しました。
根拠となる具体的客観的事実が一切提示されないですからね・・・(笑)