聖セバスティアンの殉教

真夏の黄昏時に厳しい日差しを避けるように室内で聴くドビュッシーは素敵。
ずっと彼の音楽に浸っていたい。ミシェル・ベロフの弾く「前奏曲集第1巻」や「子どもの領分」。嗚呼、これらは何て素晴らしい音楽なんだろう、そして何と美しい演奏なのだろう。さらに、シャルル・デュトワの棒による「海」、「遊戯」、交響的断章「聖セバスティアンの殉教」及び「牧神の午後への前奏曲」!!難解なステファヌ・マラルメの詩作を、その内容はともかくとしてその音の響きをそのまま音楽に仕上げたドビュッシーの天才。
すべてがこれらの音盤に詳細に刻み込まれる。
もう随分前からことあるごとに聴いてきた音盤だが、今日ほど沁みたことはないのでは。
試しに、音量を絞りごく小さな音で聴いてみよ。「ながら」、すなわち他の作業をしながらで良い。こんなにも日常溢れかえる自然の音と同化する音楽が他にあろうか。

ここのところ繰り返し「聖セバスティアンの殉教」を聴く。ダヌンツィオの戯曲に伴奏音楽としてドビュッシーが曲をつけた、「断章」ではないバージョンを。
ここにあるのは「ペレアス」以上に官能的な響きでありながら、作品の性格上「ペレアス」以上にストイックな音調の連続。それはきっとフランス語の響きそのものにやっぱり依っているのか。台詞の響きそのもの、音自体がどうにも妖しい。

ドビュッシー:聖セバスティアンの殉教(ガブリエーレ・ダヌンツィオの5幕の神秘劇のための劇音楽)
・第1幕「百合の園」
・第2幕「魔法の部屋」
・第3幕「偽りの神々の会議」
・第4幕「傷ついた月桂樹」
・第5幕「天国」
イザベル・ユペール(語り、聖セバスティアン)
ソフィー・マラン=デュゴール(ソプラノ:処女エリゴーヌの声、独唱、天の声)
ケイト・アルドリッヒ(メゾ・ソプラノ:双子の兄弟マルク、独唱)
クリスティーヌ・クノッレン(メゾ・ソプラノ:双子の兄弟マルケリアヌス)
ラジオ・フランス合唱団
ダニエーレ・ガッティ指揮フランス国立管弦楽団(2009.4.9Live)

60分超のドラマがあっという間に過ぎる。
初演時は5時間だったと言われるこのドラマが1時間ほどに縮小されたことで、一層我々に身近になる。ならばもっと一般に認知されても良さそうなものなのに・・・。

第4幕最後のシーンで聖セバスティアンは次のように語り、祈る。
祝福を!
今一度愛を、今一度、永遠に!

この後合唱が続き、オーケストラだけの後奏で、何と僕の耳には「君が代」の旋律が聴こえる(これもジャポニズムの影響?)。気のせいかな・・・。
「聖セバスティアンの殉教」には三島由紀夫が池田弘太郎と共訳しているものがあるようだから、意外に気のせいじゃないかも(笑)。この本、絶版のよう。欲しい・・・。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。

>「ペレアス」以上に官能的

そうですかねえ? 私は断然「ペレアス」派ですが・・・。
しかし、もし、岡本さんが指摘する通りだとしたら、宗教と官能は、根源的には同じという証明になるのかもしれません。

バッハ「マタイ受難曲」とワーグナー「トリスタンとイゾルデ」を聴く醍醐味が、意外にも極めて近いと感じるのは、私だけでしょうか?

私も、久しぶりに、映画『聖セバスティアンの殉教』を観ようと思いました。
http://www.classica-jp.com/program/detail.php?classica_id=U4207

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。

>そうですかねえ? 私は断然「ペレアス」派ですが・・・。

あくまで僕の個人的感覚です。
ただし、言葉の選択を間違ったかもしれません。比較論は人それぞれですから。
「ペレアス」以上にと書くと反論もありますからね。「ペレアス」とは別の意味でという言い方に変えましょう(笑)。

>バッハ「マタイ受難曲」とワーグナー「トリスタンとイゾルデ」を聴く醍醐味が、意外にも極めて近いと感じる

これは僕も同感ですね。
映画『聖セバスティアンの殉教』は観ておりません。観てみたいです。しかし、クラシカ・ジャパンでしか観られないとは!
現在僕の部屋ではクラシカ・ジャパンが視聴できません・・・(涙)

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