引き続き「遺書」前夜のベートーヴェン。
最近では明らかになっているが、あれはやっぱり「遺書」の類ではなさそうだ。
「牧人が歌うのを人が聞いて、私には聞こえなかったときには、あわや自殺しようとしたこともある。しかし私の芸術だけがそうした思いを引き戻した」
「自殺により生涯を終わらせないできたのも、徳と自分の芸術のお陰だ」
こんなこともあの書には書かれているのである。それに、その時期の作品には言葉で表現し難い、前向きで躍動感に満ちた、そういう意味では少し神的な雰囲気に漲るものが多い。そのことは、何となく聴き流しているとわからないけれど、上記の「徳と自分の芸術」ということを意識して聴くと途端に心に響くようになる。
後年、ベートーヴェンはインド哲学にも造詣を深くしたという。
彼の日記に書かれた一節。
「すべての快楽と欲望より解放されし者、そは万能の一者なり。そは唯一者なり。その者より偉大なる者はなし」
「まことの賢者は、この世の善悪に思い煩うことはない。それゆえ汝の理性をこのように使う術を習得すべく努めよ。なぜならこのような使い方は、人生における貴重な芸術だからだ」
さすがに楽聖と呼ばれるだけのことはある。
久しぶりにバックハウスを聴いた。もはや随分音は古びたと感じる。しかし、この無骨な表現の中にも得も言われぬ愉悦感と恍惚感が引いては寄せ、寄せては引き・・・。
偉大な芸術は未来永劫偉大なり。誰が何と言おうとバックハウスのソナタは特別だ。
作品31-3を聴くと、例の「最後の演奏会」での終楽章まで至らなかった、息も絶え絶えになりながらの演奏を思い出す。あれは、僕が最初に耳にしたバックハウスのベートーヴェンだった(同収録の「ワルトシュタイン」とともに)。それゆえに、曲調はそんなでもないのに、バックハウスのもので聴くとついつい「哀しみ」を覚えてしまう。
白眉は「田園」ソナタ。冒頭の主題から沁みる。自然と宇宙とひとつになったベートーヴェンの魂を朴訥に音化するそのスキルと精神性に畏怖の念を覚える。
何といっても、バックハウスのベートーヴェンは素晴しいの一言です。最後の演奏会のCDは歴史的なドキュメントと言えます。シューマン「幻想小曲集」を手がけた時、この演奏会のことが頭にこびりついていました。再び取り組んでみた時、この演奏会のことを乗り越え、シューマンの音楽が表現できました。その分、かえってこの演奏会が胸に迫るものとなりそうです。
>畑山千恵子様
こんにちは。
確かに「最後の演奏会」の「幻想小曲集」からの2曲は絶品ですよね。
最高の演奏だと僕も思います。