春の祭典

最近、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」を耳にすることが多い。知人が2台ピアノバージョンで演奏会を開くということで何かと協力することになり、これまで集めてきた文献や音盤を漁ることが必然的になったからだ。

最近の演奏で出色はゲルギエフ盤。(そういえば一昨年だったかサントリーホールで都響だったかと共演した演奏もなかなかのものだった)

長らく愛聴していたのはデュトワ盤

この曲はセックスをモチーフにした太古の自然賛歌であるが、初めて聴いたときは全く理解できなかったことを思い出す。1913年の初演のときもものすごいブーイングの嵐だったらしい。しかしながら、「ハルサイ」はもはや古典。今では生だろうと音盤だろうと大抵ゾクゾクさせられるほど魅力的な曲になっている。
そういえば、こちらもプログレ・ロックの古典と化しているキング・クリムゾンの「太陽と旋律パート1」は「ハルサイ」がモチーフになっているらしい。この曲も学生時代初めて聴いたときはぶっ飛んでしまった。今聴いても生々しく、とても30年以上前のロックとは思えない。

ところで、昨晩以前クラシカ・ジャパンで放映されたバーンスタインのザルツァウでの映像を観た。ユース・オーケストラを相手に「ハルサイ」を創り上げていくドキュメントである。バーンスタインが亡くなったのは1990年。このフィルムは1987年のものだから、もう20年も前ということになる。それにしてもバーンスタインは名教師である。亡くなる年の札幌でのパシフィック・ミュージック・フェスティバルでの映像もそうだったが、アマチュア・オケがみるみるプロ顔負けの音を出すようになっていく様は興味が尽きない。その話しぶり、たとえ話、若者をモティベートしていくエネルギー、全てがとても70歳の老人とは思えない。

追記
最後の来日公演は、そのインフォメーションがあった時から楽しみで4公演分のチケットを押さえ、当時仕事の都合で最初の2公演は行けず、友人に譲ってしまった。ところが、その2公演だけ振り、体調不良でなんと残り全公演をキャンセルし帰国してしまい、その3ヶ月後に帰らぬ人となってしまったのだ。ショックなんてもんじゃなかったことを思い出す。

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3 COMMENTS

アレグロ・コン・ブリオ~第4章 » Blog Archive » 今に生きる

[…] 憑かれたようにLark’s Crimsonの”Red”-40th Anniversary Versionを繰り返し聴いたら、この底知れないエネルギーの源泉は一体どこにあるのだろうととても不思議な感覚に襲われた。60年代から70年代にかけての世界中(地球上)で起こった出来事との相関ももちろんあるように思うが、それにしてもテンションが半端でない。おそらく1913年、パリのシャンゼリゼ劇場を舞台に物議を醸したストラヴィンスキーの「春の祭典」初演の際の、激しいブーイングの傍ら、その内に真実の音楽を感じ取り、恍惚となっていた一部の愛好家がもったであろう、ほとんど新興宗教を崇めたてるような心持と、そこから発せられる熱気までもが如実に伝わるインプロヴィゼーション・パフォーマンスであり、いつ聴いてものけ反るような感動を覚えてしまう。 いつだったか購入したコルトレーンの1961年のヴィレッジ・ヴァンガードにおける壮絶パフォーマンスのコンプリート・セットを聴いたときにも同じような感覚に襲われたことを思い出した。 […]

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アレグロ・コン・ブリオ~第4章 » Blog Archive » ストラヴィンスキーに腰を抜かしたパリの人々

[…] 春が蠢くというより初夏の陽気。 所用で新宿界隈を自転車でぶらりとしたが、御苑は人の山。道行く人々はそこかしこに立ち止まり、満開の桜に酔い痴れる。こんな日は「春の祭典」か、はたまた「カルミナ・ブラーナ」か。いや、ここは少しひねって「結婚」を。 「フィガロ?」 「ノン!」 「真夏の夜の夢?」 「ノン!」 […]

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