ハイドンとモーツァルト

ハイドンやモーツァルトがフリーメイスンであったことは以前から知っていたとはいえ、その事実に俄然興味が湧いている。ここのところは時間を見つけてはその点を注意深く確認しながら音楽を聴き込んでいるのだが、僕にとってヨーゼフ・ハイドンという作曲家はとても遠い存在で、未知数だということがよくわかった。何より文献の類もベートーヴェンやモーツァルトに比較して圧倒的に少ない。彼の生い立ち、特に幼少期のことなど詳しく知る術がほとんどないことが残念でならない。この際、残された幾ジャンルにも及ぶ数多の作品をじっくり聴いて、感じ、考えてゆくしかないのだろうか・・・。

ところで、全くの独断と偏見で勝手な記事を毎日のように書いていると、ありがたいことに同好の士が様々な意見をくださる。昨日もFacebookを通じてハイドンのことに関する見解をいただいた。これがまた本当に的を射たコメントで大変に勉強になる。例えば、1780年代のハイドンを指して「悠々自適」という表現を僕は使ったが、少々言葉の選び方を間違ったかなと反省。つまり、彼はそもそもエステルハージ家に仕えていた身であり、現代風にいうとサラリーマンであることをすっかり忘れていたのである(というよりその観点をつい見逃してしまったということ)。

そう、彼は所詮サラリーマン、それも「契約社員」の悲哀を感じるのだと。なるほどと膝を打った。さらに、「もっともっとと思わせておかないと・・・、あの手この手で楽しませようという努力の跡がひしひしと感じられる」と書いていただいたときには何だかハイドンがすごく身近に感じられた。

ただし、今になって思うのだけれど、いわゆるサラリーマンじゃないな(笑)、と。どちらかというと一流のプロ野球選手のよう。才能を売って、しかも単年契約で常に結果を出し続けなければならないプレッシャーと闘いながら日々仕事をするという。

それともうひとつ教えていただいたのが、同じブルーノ・ヴァイルの録音から第44番の交響曲に関して。このシンフォニーのホ短調という調性が「F管の倍音列にないBが属音で管弦楽に絶対に不向きだ」という根拠から(実にブラームスの第4交響曲が出現するまでほとんど見当たらないそう)、この作品が作曲された1771年~72年頃のハイドンはフラストレーションが相当に溜まっていたのではという推論。この作品が収録される音盤も僕の愛聴盤だが、この見解についても何だかとても納得した。

それにしても「視点」は十人十色。本当のところはハイドン本人に直接会って確認するしか方法はないが、それは不可能。時代の先を行く革新も、実は欲求不満の産物だったと結論付けされるだけで一大事(笑)。いずれにせよクラシック音楽愛好の醍醐味はそういう「解釈」の多様性にもあることを痛感(その意味では、どんな演奏だって素晴らしい。究極的には駄演はないということだ)。

ちなみに、本日はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの221回目の命日。
1809年5月31日にハイドンが逝去し、6月15日にショッテン教会で市民による追悼式が行われたそうだが、そこではモーツァルトの「レクイエム」が演奏されたそう。当然、ベートーヴェンも列席していただろうが、一切の記録が残っていないらしい(このあたりの不透明感も何だかメイスンの影響がありそうだと勝手に勘ぐってしまう・・・笑)。
ということで、件の鎮魂曲。

モーツァルト:レクイエムニ短調K.626
エリーザベト・シューマン(ソプラノ)
ケルスティン・トルボルク(メゾ・ソプラノ)
アントン・デルモータ(テノール)
アレクサンダー・キプニス(バス)
ウィーン国立歌劇場合唱団
ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1937.6.29Live)

ワルター&ウィーン・フィルの戦前の記録。
いかにも19世紀風の時代がかった解釈と演奏に「古臭さ」を感じずにはいられないけれど、僕にはやっぱりワルターのモーツァルトは特別で・・・。理屈抜きに感動させられる。

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