1842年:シューマン「室内楽の年」

時折イェルク・デームスの弾くシューマン全集をひもとく。
楽器のせいなのか演奏のせいなのか、それとも録音事情なのかそのあたりのことはわからないけれど、ロベルト・シューマンの音楽の「陰」の側面がすごく強調されているようで、以前は気が付かなかったのだけれど、とても面白く聴ける。どうにもくすんだ音色。音のひとつひとつを丁寧に紡ぎ、初期の作品から晩年のものまでもが、一定の色合を湛えていることに驚かされる。あらためて今頃感じるのだけれど、CD13枚に及ぶこのボックス・セットはシューマンを知る上で欠かすことのできないものなのでは?デームスの力量に依るところ大だが、作曲家が既に若い頃から「病気を抱えているんだ」ということが音の裏側からサワサワと伝わるのだからまさに「必聴」盤。1枚目から順番にじっくり聴くも良し、好きなところから適当にかけるも良し。

ここしばらくのシューマン漬けの中、みどりさんから興味深い文献を教えていただいた。
岩田誠著「脳と音楽」。その第7章は「創造と幻覚」と題し、シューマンの精神病と音楽について医学的見地から専門的に論じられている。

結論から言うと、シューマンの死因となった精神病は梅毒による疾患ではないということ。どうやら器官的なものではないようだ。ロベルトの幼少期の体験や環境についてはまだまだ知識不足なので僕の勝手な見解を云々するのは時期尚早だけれど、ひとつ言えるのは、彼が幼い頃から「ストロークが不足する」、そういう状況に常に置かれていたんだろうということ。要はもともと精神的には決して強くなかったと(ぼくのこれまでの経験から言うと、人としての「強さ」は幼少時の(両親からの)ストロークの深度が深く関わっている)。
その上に「何か」が起こり、彼の内側に「幻聴」が聴こえるようになったのだと僕には思える。

おそらく(これも勝手な推測だけれど)、ある意味自意識過剰の、我がまま放題のロベルトの面倒を看るのはクララにとって大変な重荷だったのではと考える。実に大きなストレスだったのではと(ロベルトの良くも悪くも偏執性は例えば同じジャンルの楽曲を集中的に書き上げるところにも表れる)。

とはいえ、結婚直後の2人の関係は当然最高だったようで、その頃のロベルトの作品、あるいはクララの作品は本当に幸福感に満ちており、曲想がどんなに暗いものでも充実した安定感を持つ。
1842年は「室内楽」の年。

シューマン:
・ピアノ五重奏曲変ホ長調作品44
・アンダンテと変奏曲変ロ長調作品46
・ピアノ四重奏曲変ホ長調作品47
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
アレクサンドル・ラビノヴィチ(ピアノ)
ドラ・シュヴァルツベルク(ヴァイオリン)
ルーシー・ホール(ヴァイオリン)
今井信子(ヴィオラ)
ナタリー・グートマン(チェロ)
ミッシャ・マイスキー(チェロ)
マリー=ルイーズ・ノイネッカー(ホルン)(1994.9.18Live)

ピアノ五重奏曲は、シューマンの作品の中でも稀に見る成功を収めたひとつである。クララが演奏会の主要レパートリーにしたお蔭もあろう。それによってロベルトの作曲家としての名声は高まった。
シューマンの音楽にはメロディがないと批判したワーグナーですらこの作品については認めたようだ。

大変気に入りました。2回演奏してくださるよう奥様にお願いしました。特に最初の2楽章が活き活きしていると感じ、第4楽章はもう一度聴くともっと気に入ると思いました。
(1843年2月25日付ワーグナーの手紙)

アルゲリッチとその仲間たちの演奏がとても素敵。ロベルト・シューマンの人生のハイライトをそのまま音化したような勢いと幸せ感・・・。

ちなみに、ロベルトの「幻聴」は精神疾患による幻覚症状だったのではと岩田氏も述べられているが、結局本書においても結論めいたことの言及は避けられている。果たして彼の精神疾患は「どこ」から来るものなのか・・・。


2 COMMENTS

みどり

大変僭越ですが、少し補足をさせてください。

読者の皆様の中には、シューマンの精神疾患は「梅毒」に起因するものと
認識されている方もおいでだと思います。
ウィキペディア日本語版でも、そのように読み取れる説明がなされて
いますが、それは古くから通説とされているものの一つです。
試しにWiki の英語版をご覧になられると、日本語版とは大分異なった
結果を得られることがご理解いただけると思います。
http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Schumann

記事中で「器官的」とあるのは、正しくは「器質的」です。

岩田誠氏は本書において、「結論めいたことの言及を避けて」おられるの
ではなく、「シューマンの精神疾患の基礎として双極性障害を考える」と
いう説への妥当性について、考察を述べておいでなのだと思います。
その上で、氏の興味の中心はシューマンの病いに対する診断ではなく
音楽幻聴が創作活動へと結び付く不思議さを興味深くお考えだと仰って
いるのではないでしょうか。

それを「避けられている」と読めるのは、岡本さんのお探しになっている
答えとは合致しないものだからではないかと思います。
岡本さんにとって、「どこから」への答えはエヴィデンスの積み重ねによる
ところではなく、もっと別な場所から見つかるものなのかもしれませんね。

長文、失礼を致しました。お許しください。

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岡本 浩和

>みどり様
補足、というより訂正をありがとうございます。
だいぶ主観的、「思い込み」をもって読んでいるせいか読み誤りも随分あるように思います(言葉の遣い方も含めて。しっかり確認しないまま「器官的」などと書いてしまいました。失礼しました)。

そうですね。確かにウィキペディアは英語版を読んだ方が良さそうです。
重ね重ねありがとうございます。

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