眠りの音楽

初夏だというのにやたらに眠い一日。
どうやら磁場的に良くなかったようで狭い空間に閉じ込められてしまったような感覚。
夕刻まで講習だったのでこれは仕方ない。

ところで、クラシック音楽を苦手だという人はどうやらついつい眠くなってしまうらしい。眠いときは素直に寝てしまえばいい。そもそも古典音楽は高尚なもので正座してしっかり聴くものだというイメージを持っている輩が多い。とはいえ、作曲された当時の大衆からみれば「ポピュラー音楽」なのであって、そんなに難しいものではなかったはずだ。

J.S.バッハの「ゴルトベルク変奏曲」BWV988を聴く。
ゴルトベルクといえばグレン・グールドが定番だが、あえてシトコヴェツキーの弦楽三重奏編曲版。

ジュリアン・ラクリン(ヴァイオリン)
今井信子(ヴィオラ)
ミッシャ・マイスキー(チェロ)

この曲はバッハの鍵盤音楽の最高傑作。特に、短調の第25変奏が終わり第26変奏以降をじっくり聴くといい。突然「天使」が降りてきて、魂が別次元に昇華されるまさにアセンションを表す音楽なのである。
「ゴルトベルク変奏曲」。正式名称は「2段鍵盤付きクラヴィチェンバロのためのアリアと種々の変奏」という。J.S.バッハが不眠症のゴルトベルク伯爵のために書いたものゆえこの俗称が一般的になっている。楽譜どおりに反復まですると80分近くかかる大作である。当時この曲を初めて聴いた伯爵はすやすやと眠りについたらしい。

しかし、この名作を前にとても寝てはいられない。ついつい目が冴えてしまうほどの魅力を持つ大傑作である。

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3 COMMENTS

アレグロ・コン・ブリオ~第5章 » Blog Archive » ラインベルガー&レーガー編曲による「ゴルトベルク変奏曲」

[…] 先日のフルトヴェングラーの言葉を思い出した。「すべて偉大なものは単純である」。 そう、バッハの作品はそれ単体ですでに完成形を示しているのだ。ゆえに、ロベルト・シューマンが当時バッハの無伴奏作品にピアノ伴奏をつけたあの版についても「仕事」としては面白いとは思うものの、そうしょっちゅう聴きたいと思わない。何だか余計な添加物が入れられた人工的な味わいというとシューマン・フリークに怒られるだろうが、やっぱりいざ聴くなら原典なのである。 もちろん、19世紀の時点ではそういう行為は常識だったのだろうし、ひとつの優れた作品としては十分認識できる。それに資料的価値も大いにある。でもやっぱり、「ゴルトベルク」を聴くならオリジナルで聴きたいと今日もまた思った。それは正直に。そんなことを言いながら、シトコヴェツキー編の弦楽三重奏版や弦楽合奏版は絶賛しているではないかと言われそうだが、あの編曲はバッハの音符にできるだけ忠実に従おうとしているのに対し、こちらのものは「余計な味付け」をどうしても付けたいようで、どうにも「不自然」に感じてしまうのである。ただし、あくまでこれは僕個人の勝手な感覚・・・。 […]

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