ヘルマン・ヘッセが「デミアン」の中で表現しようとしたことは、「無門関」でいうところの「不思善悪」のことだろうか。主人公シンクレールが様々な葛藤の中で自己を発見してゆく物語には「すべてがひとつである」という思想が通底する。果たしてヘッセ自身がその境地に立ったのかどうなのかは不明。とはいえ、音楽のなかにもそういうものを見出していることを考えると、この小説家はどこかで「わかって」いたのかも。
オルガン奏者ピストリウスとの対話の中で音楽の内側にある神性と悪魔性が語られる。単に美しいというだけでは音楽芸術ではないと(同じようなことを岡本太郎も言っていた)。バッハの内にも、レーガーの内にも、あるいはバッハ以前の、例えばブクステフーデの内側にも愛と別れを、そして憧れと妬みを感じるのだと。感情の坩堝だ。すべてはつながっているのだ。どれひとつとして不要なものはない。
小説というのはどんなものでも一度ざっと目を通し、二度目にじっくり読むという方法が良いように僕は思う。映画だってそう。たいていの物事は「二度目に鱗が落ちる」、そういうものだ。
マックス・レーガーの名前が出たついでにせっかくなので・・・。
彼はヨハネス・ブラームスに影響を受けたというが、ブラームスなどよりもっとメロディアスだ。そして、一層解放的・・・。さらに、豪放磊落。
・レーガー:弦楽四重奏曲変ホ長調作品109
・メンデルスゾーン:弦楽四重奏のための4つの小品作品81~第3曲「カプリッチョ」ホ短調
ブッシュ弦楽四重奏団
アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
ブルーノ・シュトラウマン(第2ヴァイオリン)
フーゴー・ゴッテスマン(ヴィオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)(1951.2.15録音)
アドルフ・ブッシュの死の前年の録音。
それにしてもマックス・レーガーの思考は深い。第3楽章ラルゲットの深遠でありながらほのかに温かい音色と愛情に満ちた響き。第4楽章のフーガは「すべてを飲み込む」。
アルコール中毒、ニコチン中毒、暴飲暴食・・・、自らの心身をいたぶったこの豪傑は実は極めて繊細で弱いのでは??少なくとも彼の音楽を聴く限りにおいて神的側面と悪魔的側面が見事に葛藤しているように思える。何とかそのバランスをとろうとして彼は心身の安定を欠いたのだろう。とはいえ、そういうところから「芸術」は生れるのだ。
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