ムラヴィンスキーのモーツァルトK.319を聴いて思ふ

mozart_33_mravinsky「新潮45」2013年11月号に掲載されていた「『全聾の天才作曲家』佐村河内守は本物か」(野口剛夫著)を読んでみた。「わかる人」は「わかっていた」みたい。最後の件が興味深かった。

残念ながらあまり考えたくはないが、これだけ事が大きくなったのも、おそらく「金」のなせるわざだったのかもしれない。全く儲からないクラシックの世界で、久しぶりにお金になりそうな人が現れ、関係者たち(そして本人も?)はとても張り切ってしまったのだろう。しかし、ワーグナーの「ニーベルンクの指環」にもある教訓だが、権力(金)と愛は同時には持てない。権力を得るものは心の誠を断念しなければならないからだ。

確かに。教育という仕事に就いていてつくづく思う。人間に思いを抱けば抱くほどお金儲けからは程遠くなり、お金儲けを目指すと途端に教育がおざなりになる。

モーツァルトの晩年の貧困もなるべくしてなったことのよう。パリ旅行中の保護者であったグリム男爵がレオポルトに送った手紙より引用する(1778年8月13日付「モーツァルトの手紙」)。

ご子息はあまりにも人を信じやすく、積極性に欠け、騙されやすく、立身出世の術にあまりに無関心です。当地では、頭角を現すには、ずる賢く、厚かましく、ずぶとくないといけません。ご子息が立身出世をなさりたいなら、才能は半分でもよいが、二倍の世渡り術を望みたいものです。
P253

うーん、頭が痛い・・・(笑)。純粋であればあるほど、「上手に生活すること」とは無縁になっていく矛盾。夏目漱石が「兎角に人の世は住みにくい」と書いた原点がここにもある(同時に経済活動の中心地パリで生き抜くには「ずる賢く、厚かましく、ずぶとくないといけない」とは・・・、うーむ、心がきれいな人は皆人間不信に陥ったことだろう)。

マンハイム、パリ旅行から帰郷後に書かれた交響曲のひとつ。後の「ジュピター」音形が木魂する(第1楽章展開部)隠れた名品。カルロス・クライバーの数少ないレパートリー。ヨッフムの晩年の来日公演での演奏も素晴らしい。しかし、それらをも凌駕する絶品がムラヴィンスキーのBBCライブ。ヨッフムはともかくとして他の2人に共通するのはまさにモーツァルト同様「世渡り下手」なところ(?)。このあまりメジャーでない交響曲を頻繁に採り上げたのには、何か惹きつけられるそれなりの理由があったのかも。

モーツァルト:交響曲第33番変ロ長調K.319
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団(1960.9.23Live)

何という平和で明朗な音楽。しかし、音楽の様相とは裏腹に彼の心の内は嵐のようだったのか・・・。ザルツブルクに戻る直前に父に宛てたモーツァルトの手紙がそのことを物語る。

ぼくの名誉にかけて誓って言いますが、ぼくはザルツブルクとその住民たち(生まれながらのザルツブルク出身の連中たち)にもうがまんできません。―彼らの語り口―生活ぶりが、まったく耐えがたいのです。
~1779年1月8日付
P256

モーツァルトの美しさは、嘘をつけない実直さから生み出されたものなのだろう。どんなに苦労しても結局出世やお金に目もくれなかった性格が良くも悪くも響いた。まさに「聖愚者」ここに在り、という感じ・・・。
20分余りの作品に中に、当時のモーツァルトの明暗、表裏、陰陽、あらゆる感情が錯綜する。そして何よりムラヴィンスキーの明確な棒によって紡ぎ出される音楽の真っ正直さと美しさ。脱帽する。

 


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