愛、性善説

人間はやはり「性善説」に基づいて生まれ出ていると実感する。純粋に人は人を愛するものだし、たとえ「仮想空間」であろうとも人と人とはつながっているんだという感覚を体得することはとても重要である。
人は「自己防衛本能」というものを持たされている。身体がある以上最小限の「自己防衛」は当然必要である。しかし、環境や教育、体験によりその本能が過剰になっているのが現代人。あまりに物騒な世間。国と国との争い。近所付合いのない都会の殺伐たる人間関係。人が小さくならざるをえない状況。どこをどうとってみても病んでいる。とはいえ、その状況は誰が作ったのか。ほかでもない、人間自身である。

「愛」という言葉を口にすることは簡単である。しかし、「愛」という状態を発露し維持し続けることは困難だ。「愛」とは「無」、「真空」の状態。人間は誰しも我儘だ。他者と交わっているとき、話を聞いているときですら「無」になることはなかなかできない。たとえ数分であろうと、そのうちの半分以上は「自分自身」のことを考えてしまっている。みんな「私」が大事なのである。そして「私」がぶつかりあい、喧嘩となり、戦いに発展する。一方、ぶつからなければ「ストレス」となり、結局は自滅を招く。

とにかくあるがままを受け入れること。自然の流れに抵抗しないこと。身を任せることだ。
今日、YさんをDに引き合わせた。とても楽しかった。会話の中でDが教えてくれたこと。マリナーズのイチローが「どうして三振が少ないのか?」という質問に対して答えた言葉。要約すると、「普通の野球選手は次に来る球のコースを予想してヤマを張る。当たればヒットするが、外れれば空振りとなる。しかし、僕は何も考えない。予想もしないし、ヤマも張らない。ただ、来た球に反応してバットに当てることに集中しているだけだ」というようなことを言ったらしい。なるほど・・・まさに「自然体」である。

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番ハ短調作品18
セルゲイ・ラフマニノフ(ピアノ)
レオポルド・ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団

1929年録音の自作自演盤。今週末に予定している「早わかりクラシック音楽講座」でとりあげる楽曲がこの曲であるゆえ、今週は様々な音盤を聴くことになりそうだ。80年近く前のレコーディングだが、音は意外に鮮明。そして、テンポはきびきびと速い。以前とりあげたルービンシュタイン盤には敵わないが、さすがに作曲者自身のピアノであるゆえ、相応の説得力はある。今のアメリカは病んでいる。しかし、ラフマニノフが亡命し、この演奏を披露した当時のアメリカはもっと健全で輝いていたに違いない。
闘争のない平和な世界であることを望む。

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