ポゴレリッチの弾くベートーヴェンの作品111を観て思ふ

beethoven_32_pogorelich衝撃の作品111。
イーヴォ・ポゴレリッチがまだ今のようなポゴレリッチでなく、パートナーでもあり師でもあったアリザ・ケゼラーゼ女史の薫陶の下、ピアノ・マジックを披露していたあの頃の超絶的なベートーヴェンを聴いて目が覚めた。
さすがに今の僧門に入ったかのような、そしてまるで能舞台を鑑賞するかのようなパフォーマンスは、(好きだけれども)僕のような根っからの愛好家でも「やり過ぎ」という烙印を押してしまいそうになる。そうでないあの頃の、ある意味管理されたイーヴォのそれほどに「真面な」ベートーヴェンが聴けるという喜び。わずか29歳にして崇高な音楽を響かせる彼の才能と、その力を最大限に奮起させたゲゼラーゼ氏の力量に舌を巻く。

全曲で33分ほど。特にアリエッタの、(あくまで僕にとって)何という理想的なテンポと流れ。ポゴレリッチも消え、ベートーヴェンも消え、純度の高い、ほとんど人間業とは思えぬ音楽が、ただ音楽がそこにあるのみ。

ショパン:
・ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調作品35
・ポロネーズ第5番嬰ハ短調作品44
・前奏曲第21番変ロ長調作品28-21
ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第27番ホ短調作品90
・ピアノ・ソナタ第32番ハ短調作品111
スクリャービン:
・練習曲作品8-2
・2つの詩曲作品32
イーヴォ・ポゴレリッチ(ピアノ)

ポゴレリッチの表現は、苦悩でさえ澄んだ趣きを呈する。
もはやこの音楽を作曲当時のベートーヴェンはすべてをわかっていたとしか思えない。人生において心配事や悩み事や、そういうものも必要なものなのだと。決して居直りでない、必要悪としての「闘争」がここに在る。おそらくそれはベートーヴェンの音楽の元々の力。ポゴレリッチだからというのではなく(しかし、ポゴレリッチの演奏により一層それが明白になる)。

第2楽章アリエッタの主題の、祈りのような足取りから途轍もない深み・・・。今のポゴレリッチなら何の音楽だかわからないほどに崩してしまいそうだが、ギリギリのライン、悠々たるテンポで音楽を保つ。嗚呼、何て美しく、何て心静かであることか・・・。第1変奏で光が差し、僕たちに希望を届け、第2変奏では光が躍る。ここでもポゴレリッチの表現は余裕があり、安定感抜群。第3変奏の精緻でありながら古典派とは思えない現代的な楽想の表現は白眉。第4変奏で、テンポは元に戻る。ここから第5変奏にかけては変容を超えていよいよ魂の昇華に入る場面だ。金縛り状態・・・。
コーダは・・・、言葉にならぬ。

正直、ポゴレリッチのこの当時のような音楽をもう一度聴いてみたい。
無理だろうけど・・・。

 


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6 Comments

ヒロコ ナカタ

こんにちは。初めまして。突然ですみません。
記事を読み、うれしくなって身の程も知らず書いています。
ポゴレリチのベートーヴェン32番、素晴らしいです。若い頃LPで聞いていたのですが、その時は気がつきませんでした。30年を経て再び耳にしたアリエッタに驚愕!慌てて所蔵のCDでケンプ、バックハウス、バレンボイム、グルダ等、名だたるベートーヴェン弾きのそれを聴き比べたのですが、このポゴレリチに勝る演奏はない、という結論に達しています。それだけに現在の姿に疑問を感じています。精神的な危機を脱して復活、演奏活動を続けていることは嬉しいのですが…どのように解釈したらよいのか・・・
ご示唆下さい!

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岡本 浩和

>ヒロコ ナカタ 様

コメントをありがとうございます。
当時は師匠(奥様)の枠の中にあって、創造性とエキセントリックさがギリギリのラインでバランスを保っていたのだろうと僕は思っています。
復活以来、来日のたびに聴きに行っておりますが、徐々にタガが外れていって、2011年がエキセントリックのクライマックスでした(笑)。(それでも僕は真面目に演奏するポゴレリッチに浸れましたが)

マネージャーを失って以来、自分に正直に徹底的に創造性だけで勝負した分、ある意味一般聴衆からは見放されましたが、3年ほど前から少し真面に戻り、昔の彼とはまた違った意味で、興味深い、唯一無二のポゴレリッチらしい演奏を届けてくれていると僕は感じています。

モーツァルトが父を失ってから作品が一層精神性の深いものになり、聴衆がついていけなくなった事象とどこか似ているように僕は捉えています。ひょっとすると彼が亡くなり、僕たちも死んだ未来に今日の彼の演奏は評価されるのかもしれません。ただ、最近は録音を残していないので、後世の人々は触れようがないのですが(笑)。

ちなみに、作品111はウゴルスキのものも絶品です。聴いてみてください。
あと、偶然にも本日はサントリーホールでポゴレリッチのリサイタルです。
楽しんでまいります。

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ヒロコ ナカタ

岡本 浩和 様
 お返事ありがとうございました。ポゴレリッチに対する深い理解と愛情を感じ、またまた嬉しくなりました。2015年にポゴレリチの演奏会に行きました。英国ケンブリッジへの団体旅行を一人抜けて、ポゴレリチ聴きたさ見たさに、オクスフォードくんだりまで行ったのでした。プログラムはショパン・ノクターンop48-1、ラフマニノフ・ソナタ2番、スクリャービン・ソナタ4番、2つの詩op32、バラキエフ・イスラメイという、私には苦手な分野(ショパン以外)だったせいか、大音響の連続で好さを感じることができませんでした。加えて楽譜を見ながら演奏していたり、椅子を足でピアノの下に入れたり、という態度にがっかりもしました。なんだか目つきも怪しくなっている気もしました。でも岡本様のおかげで安心することができました。これからもリサイタルがあれば聴きに行きたいです。
 今夜はポゴレリッチの公演があったのですね。なんだか懐かしのプログラムですが、かつての演奏とは違っていたのでしょうか。ポゴレリッチ独自の境地全快だったのでしょうか。もしよろしければ、御感想を知りたいです。
 ウゴルスキの名は恥ずかしながらしりませんでした。早速CDを注文しました。楽しみです。
今夜の演奏会を楽しまれたことをお祈りします。

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岡本 浩和

>ヒロコ ナカタ 様

大音響も、楽譜を見ながらの演奏も、椅子を足でピアノの下にしまうのも、もはやポゴレリッチの常套です。
それすら彼のコンサートの儀式の一つだと捉えていますので、ぼくはむしろ好感が持てるほどです。(笑)
昨日の記事にも書きましたが、明らかに昔の演奏とは異なります(どっちが良い悪い云々はできません)。

ぜひウゴルスキの作品111堪能してみてください。ポゴレリッチばりにエキセントリックですが、不思議な説得力のある名演奏だと僕は思います。

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ヒロコ ナカタ

 ウゴルスキを聴いてみました。第1楽章から聞いたことのないテンポと響きでした。今まで32番の1楽章が誰の演奏でもしっくりこなかったのですが、なんだか初めてベートーヴェンを感じることが出来る演奏だったように思います。2楽章はこれまた聞いたことのないポゴレリチを越える遅さで、これはもう聴衆を全然意識していない、自分の内面だけに向かって演奏しているような感じ、というか…。ベートーヴェンの感情の最後の白鳥の歌、不滅の恋人への思いに浸り、敬愛と共にそれに封印をするかのように終わるアリエッタにはふさわしい演奏と感じました。それに続く「エリーゼのために」も聴いたことのない様々な異なるニュアンスの響き、テンポ、話法で、今まで知っているそれとまったく別の様相を呈していました。
 不器用にも聞こえる緩徐さから「~小銭への怒り」の軌道を逸した速さへの変化・・・ウゴルスキの日常生活はだいじょうぶか、とちょっと心配になったりしました。(余計なお世話)

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岡本 浩和

>ヒロコ ナカタ 様

ウゴルスキを聴いていただきありがとうございます。
おススメした後、果たして良かったのかどうなのか心配になりました。
というのも、ある意味、復帰直後のポゴレリッチの異様な演奏をもっと奇天烈にしたものですから、受け入れていただけないかなとも思ったのです。
ただ、一つ言えるのは、ポゴレリッチの場合が自分を取り戻すための試行錯誤の一つだったのに対し、ウゴルスキには完成されたスタイルがあり、その超ユックリズムも相応の説得力があるということでしょうか。
エリーゼもバガテルも僕たちが知っている景色とは別世界ですよね。

>ウゴルスキの日常生活はだいじょうぶか、とちょっと心配になったりしました。

これは本当に危ういのかもしれません。おそらくもう日本では実演を聴くことができないでしょうし、音盤も何年か前にスクリャービンのソナタ全集が出て以来音沙汰なしですから。
http://classic.opus-3.net/blog/?p=19704

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