モーツァルトのオッフェルトリウム「ミゼリコルディアス」K.222を聴いて思ふ

mozart_offertoria_matt人々は転生する。そして、音楽も輪廻する。
音楽の世界も明らかに遺伝子が受け継がれる。因があり果があるということ。一般的にそれは引用と呼ばれる。すなわち陰陽。そういうものが中庸に創造されたのがモーツァルトの作品。1775年に生み出されたオッフェルトリウム「ミゼリコルディアス(主よ憐れみたまえ)」ニ短調K.222を聴いて思った。ここにはベートーヴェンの「歓喜の歌」の源泉がある。楽曲中のレチタティーヴォの如く器楽によって奏されるパートは間違いなく「歓喜の歌」の旋律だ。歌劇「バスティアンとバスティエンヌ」K.50序曲と「英雄」交響曲の関係然り、両者には密接な関わりがあった。ここにおいてモーツァルトとベートーヴェンの「つながり」をあらためて認識する。いずれも「神の使い」なり。

モーツァルト:オッフェルトリウム集
・「スカンデ・チェリ・リミナ」ハ長調K.34
・「女より生まれし者とて」ト長調K.72
・「たたえられてあれ、父なる神と」ハ長調K.117
・「主の保護のもとに」ヘ長調K.198
・「主よ憐れみたまえ」ニ短調K.222
・「人々よ来たれ」ニ長調K.260
・「うるわしの創造主なる神の御母」ヘ長調K.277
・「神はわれらの避難所」K.20
・ミゼレーレ イ短調K.85
・「まず神の国を求めよ」ニ短調K.86
・2つのドイツ語教会歌K.343
・「喜ばしき天の女王」ハ長調K.108
ニコル・マット指揮ヨーロッパ室内合唱団
南西ドイツ・プフォルツハイム室内管弦楽団
マンハイム・プファルツ選帝候室内管弦楽団
テアトロ・アルモニコ・シュトゥットガルト
カメラータ・ヴルツブルグ、他

ザルツブルク時代の宗教音楽集だが、仕事とはいえ、いかにモーツァルトが敬虔で神聖な音楽を創造していたかを垣間見る。ほとんど「生きながらえながら死していた」とでも表現できそうな清純で崇高な音楽たち。彼が人生を疾走し、35歳という若さで天寿を全うせねばならなかった理由がわかるというもの。

恍惚とした時間を得て、一層心が安らぐ。
モーツァルトの天才にまた触れて思う。

私の魂がはじめてモーツァルトの音楽に感嘆しながら驚きを覚えて、謙遜に頭を下げて以来、私にとっては次のようなことを熟考するのがしばしば好ましく気分をはげます仕事となっていた。つまり、ギリシャ人の快活な世界考察は、世界がよく秩序づけられた全体として示されるゆえに、また、それを作り出し働かせる精神のみごとで透明な飾りとして示されるがゆえに、世界をコスモスと名づけているが、この快活な考察が諸事物のより高い秩序のなかに、理想の世界のなかに、いかに反復して現れ、いかにここでも指導的な知恵になっているかを熟考するのが私の仕事だった。
~セーレン・キルケゴール「あれかこれか」第1部『ドン・ジョヴァンニ論』より抜粋

ついでに「喜ばしき天の女王」ハ長調K.108第1楽章にも「歓喜の歌」に近い旋律が現れる。


1 COMMENT

畑山千恵子

モーツァルトの宗教音楽は、当時、大変人気がありました。ヴィーンで自由な音楽家になっても、その人気は衰えることがありませんでした。死の間際まで取り組んでいたレクイエムにせよ、そうした人気があって、依頼されたかもしれませんね。

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