内田光子のシューベルトD537&D790他を聴いて思ふ

schubert_sonata4_13_uchida内田光子のシューベルトはいつも透明だ。僕はシューベルトのソナタを聴きたいとき、大抵彼女の演奏を取り出す。時に不健康なまでに抑制された響きが、聴く者を暗澹たる気持ちにさせる瞬間が多々あるのだが、総じて「楽音だけしか」感じさせない極めて純度の高い音楽が眼前に現れる。

1817年、20歳のフランツ・シューベルト。成人とはいえ、いまだ20歳。その作品は、希望の光に満ち溢れた明快な印象を与えるものの、そして優れた音楽的センスを存分に活かした熟練の調べが横溢するものの、やはりどこか「迷い」のある寂寥感にいつも遮られる。ふとした瞬間に・・・。

調べてみると実際のシューベルトの生活というのは当時も決して順風満帆ではなかったようだ。何より音楽家として自律的に生きることは叶わず、友人や家族の世話になっているという有様。ともかく必死で創作に精を出す様が想像され、一方でさほどの努力なく音楽が生み出されているのであろう才能に舌を巻く。

シューベルト:
・ピアノ・ソナタ第4番イ短調D537
・6つのドイツ舞曲D820
・ピアノ・ソナタ第13番イ長調D664
・12のドイツ舞曲(レントラー)D790
内田光子(ピアノ)(2001.8.5-13録音)

最晩年のソナタD959の終楽章に転用されるD537第2楽章アレグレット・クアジ・アンダンティーノの主題の可憐な美しさに金縛り。他の誰も創造できないような、耳にした瞬間にはっとさせられるシューベルトの旋律美。こういう出逢いが堪らないのだ。

1823年に作曲されたレントラーと呼ばれるD790の舞曲集も実に味わい深い作品。およそダンス・ミュージックとは程遠く、芸術的に極めて高度な短い音楽の連なり。

ひとたびはまるとしばらくは彼の音楽の虜になる。それがシューベルトの魅力。
フィッシャー=ディースカウの言葉を思い出す。

あの優しい、安らぎのトーンはどこからくるのだろう。それは危機を知らない。シューベルトの美そのものが、いうなら危機の現象だろう。
自然は、暗いときは暗いが、明るいときは明るい。そして、暗くて明るいことも、明るくて暗いことも・・・といえば、シューベルトのトーンのようだ。
シューベルトはまったく自然だ。
新潮文庫カラー版作曲家の生涯「シューベルト」(前田昭雄著)

何と言い得て妙!!

 


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