ここのところ「レコード芸術」を発売日その日に買う習慣がなくなっている。
記事や内容に魅力を感じなくなっているのか、あるいは情報もネットの方が早いということで昔より必要性が少なくなっているのか。ということで、6月号を本日ようやく購入した。そして、いつも楽しみにしていた(このところはしばしば休載ということもあったけれど)吉田秀和さんの「之を楽しむ者に如かず」もいつもどおりの「位置」にあった。そうか、これが最後になるのかと思うと胸にぐっときた。今回はベートーヴェンについての内容だった。それに、後輩評論家の評論を感じたままにきちんと褒め称え、しかも未来に対してエールを贈られているところが吉田さんらしく本当に素敵で泣けてくる。
ここしばらくはまた「吉田秀和全集」のどの巻かをひもとく、あるいは最新のエッセーをひもとく日々が続くかも。
そういえば、今朝の朝日の朝刊に、「ユーモアと冷えた理性と」という標題で、作家の堀江敏幸氏が追悼文を寄せられており、吉田さんの意外な(?)側面も少しばかり紹介されていて興味深かった。
・・・(前略)海の見えるレストランでの最初の会食は、いまも忘れられない。予約席は2階だった。吉田さんは足もとを案ずる女性陣を先に行かせてから、しっかりした足取りで息も乱さず階段をあがり、席に着くやいなや給仕に向かって、こう言われたのである。「≪音≫をもう少し小さくしてくれませんか。ぼくは音楽が嫌いなんです」・・・(後略)
何とも・・・(笑)。
ところで、今夜は久しぶりにブラームスな気分。午前から外は快晴で汗ばむ陽気だったので、気持ち良く自転車で出かけたら、帰りがけに雲行きが怪しくなり、とうとうあと3分という地点で猛烈な雨に降り込まれた。お蔭で全身びしょ濡れ。どちらにせよこういうものはにわか雨だと想像していたので1時間もすれば止むだろうと思っていたら案の定。帰宅後しばらくすると何事もなかったかのような天候に(ならば途中どこかで雨宿りして時間を潰せば良かったか・・・)。タイミングが悪すぎる・・・(ま、いっか)。
それに、銀座に向かう途中の地下鉄では乗る方向を間違え、しばらく気づかず。危うく遅刻するところだったし(汗)。心に乱れがあるのか?(笑)いや、そんなことはあるまい。
ということで、「ブラームスな気分」。
僕は昔からブラームスの合唱作品が好き。
特に、低音域の充実した、これらのいぶし銀の如くの渋い作品群はいずれもブラームスの真骨頂だと思うが、心穏やかでない、何とも虚ろなこういう日の心身を癒すにはぴったり。
こうやって真正面から聴くとハイティンクも意外に(?)いいんだな・・・。
シラーの詩による「哀悼の歌」が響く。
人々や神々を感服させた美しいものも
また死ななければならない。
(中略)
見よ、美しいものが去り
完全なものが死んだことで、
神々は涙し、
全ての女神は泣いている。
愛する者の口に哀悼の歌があるというのは
すばらしい。
なぜなら、世俗の者は音もなく黄泉の国におりてゆくのだから。
(門馬直美訳)
おはようございます。
レコ芸は、年に1~2回くらいしか買わなくなり、後は書店か図書館での立ち読みで済ませています。
6月号も立ち読みですが、吉田秀和さんの連載も畑中良輔さんの月評も、何事も起きないかのように、そこにあるのですよね。
しかし、吉田さんのも畑中さんのも、この最後の号の文章、何となく澄みきった境地に感じられるのは、気のせいでしょうか。
吉田さんが20年以上前だったか、洋行から戻られ、日本の猛暑、酷暑に辟易され疲れ果てておられたとき、カラカラになった喉を潤おすように癒されたといったようなことを書かれていて、強く印象に残っている名盤。
ブラームス:ピアノ小品集 ラドゥ・ルプー
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3536372
>雅之様
おはようございます。
>何事も起きないかのように、そこにある
>この最後の号の文章、何となく澄みきった境地に感じられるのは、気のせいでしょうか
本当に「時間」とは不思議で面白いものです。
雑誌や新聞の文章そのものは過去の集積だということをあらためて感じさせられます。
そんな中で時間を超えるものが、末代まで語り継がれる名文ということになるのでしょうか。
漱石然り。吉田さんのものも単なる音楽評論を超えた普遍的なものを有しているように思えます。
このルプー盤、いいですね。
以前、僕も採り上げています。
http://classic.opus-3.net/blog/?p=2239