ジョンの歌声を聴くと時に切なくなる。33年も前に突然逝ってしまった人だからなのかどうなのか。
15年ほど前にリリースされた”Anthology”をひもといた。おそらく全部を順番にきちんと聴くのは初めて。オノ・ヨーコが言うように、ここには素顔のジョンがいる。等身大の、一切着飾ることのない・・・。であるがゆえに、残念ながら繰り返し聴く気にはならない。まさに「一期一会」で対峙すべき記録のひとつ。
特に、アスコット時代のものはさすがにビートルズ解散と前後する時期だけにそのテンションは極めて高い。音源をそのまま収録しているという点が何よりのポイント。”God”も”Love”も”Mother”も、今まさに目の前で生み出されているかのようなリアルさを持つ。
そして、ジョージ・ハリスンとニッキー・ホプキンスが参加する”Oh My Love”の透明な美しさ。
ヨーコによるそれぞれの時代の裏話を掲載したブックレットが貴重。数々の発見あり。
とりわけ驚かされたのは、ニューヨーク・シティ時代の、ジョージからの「バングラデシュ難民のためのコンサート」への出演依頼にまつわる話。
「バングラデシュ難民のためのコンサートに出てくれとか何とか、そんなこと言ってきたんだ。ディランも来るんだとさ。僕は行かないよ」「あら、どうして?私たちは出たほうがいいと思うわ。チャリティよ。ちゃんとした目的を持ったコンサートじゃない」と私は言いました。「行かないよ」「どうして?」「ジョージの道楽につきあう必要はない。こっちはこっちでやればいい。君と僕で」「出るべきよ」と私は言いました。
このやりとりは結局二人のちょっとした喧嘩にまで発展するのだが・・・、後日談が披露されている。
私はずっと、ずっとあとになってから聞いたのですが、あのときジョージはジョンに、バングラデシュのコンサートにジョンひとりで、つまり私抜きで出演するよう頼んだというのです。ジョンが出たくないと言いはったほんとうの理由はそこにあったのでしょうか。そんな気もしますが、今となっては真実を知る手だてはまったくありません。
何ともジョンらしい。そして、やはり当時はこの東洋の小さな女性は、本人の言にもあるように世界からは本当に煙たがられる存在だったのだろう。
しかし、ジョンの生み出す音楽は詩を読んでも旋律を耳にしても、やはりヨーコ・オノという人間の存在なくしてあり得ないものばかり。期せずしてジョンの最後のアルバムとなった”Double Fantasy”の2人がキスをする写真は、「すべては2人でひとつであること」を象徴する。とはいえ、このジャケットにまつわるエピソードも興味深い。
するとレコード会社から電話がありました。レコード会社は、ジョンが独身でフリーに見えるように、アルバム・ジャケットに載せるのはジョンひとりにしたいと言ってきたのです。私がその話をジョンに伝えると、ジョンは激怒しました。「自分たちのところのだいじな白人の坊やには、東洋人の女とキスなんかしていてほしくないって言うんだな・・・。けっこう、それならこの先、ふたりいっしょに写ってる写真でない限り、写真なんか表に出してやるもんか!僕らは、ふたりがおたがいに見つめあってる写真以外は、今後いっさい公表しないことにする!」
果たしてもし、あの事件がなくジョン・レノンが生きていたとしたら、以降のアルバムはどんな風になり、どんな音楽が生み出されていたのだろう・・・。
From Liverpool to Tokyo
What a way to go
From distant lands
One woman one man
Let the four winds blow
Three thousand miles over the ocean
Three thousand light years from the land of the rising sun
~”You Are Here”
何と神々しい!!
※ジョージ・マーティンのアレンジが施された”Glow Old With Me”、妙に泣ける。おそらく賛否両論あろうが。
※太字は付録のブックレットより引用
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