音楽には神が(悪魔もか?)宿るのだとあらためて思う。
どんな場所で奏されたものでも、あるいはいつの時代に録音されたものでもそれを享受する僕たちを「特別な世界」に誘ってくれる。作曲家が生み出した譜面はたった一つだけれど、そこには無限の解釈が存在する。たとえ同じ演奏家の再生であっても、時と場所が変われば自ずと違ったものが生れる。そして誰のどんな演奏にも「音楽の女神」が舞い降りるんだ。
かれこれ35年ほど前、京都にある十字屋四条店でもらった非売品のディスク。何のおまけだったかすっかり記憶の彼方だが、それこそ30年以上ぶりに聴いてみた。実にものすごい演奏で、こうなると各楽曲が抜粋であることに尻切れとんぼ感が否めなく、何とも欲求不満に陥る。それにこの音盤、「交響曲へのお誘い」という邦訳がつくが、そもそもどういう意図で録音されたのだろうか(得意客へのノベルティ?)。もともとある音源を抜粋でいれた編集盤かと思いきやそうではないらしい。
アンドレ・クリュイタンス。例えば彼がベルリン・フィルと録音したベートーヴェンの交響曲全集は、その昔アナログ・レコードの時代に繰り返し聴いた一品。フルトヴェングラー時代の音の感触が随所に残り、そこにフランス的エスプリがスパイス的に加わった、いかにも大人な雰囲気のベートーヴェン(残念ながら今やアナログ盤は処分してしまっているので手持ちの音盤はフランスEMIの箱(6483032)。
A面冒頭の「運命」交響曲を聴いて、ベルリン・フィルのそれとはまた違った波動を感じた。ほぼ同時期の録音だから指揮者の解釈はほとんど変わらないはずなのに印象がまるで違う。明らかにオーケストラの違い。ウィーン盤が極めて柔らかく、それぞれの楽器が見事に溶け合う美しい響きを持つのに対して、ベルリン盤は音のキレが凄まじく(特にティンパニと金管群)、音は硬質で、烈火の如くのベートーヴェン(アナログ盤とCDというフォーマットの差がやっぱり一番大きいのかも)。それと、ウィーン盤は企画モノという性格のせいもあろうが、提示部の反復がない(僕好み)。この第1楽章だけで本アナログ盤の価値は確か。クリュイタンスが、いや、というかEMIの当時のプロデューサーが全曲を残しておいてくれたらと惜しまれる。
ついでに、B面3曲目の第8交響曲第2楽章。両録音の基本線はまったく変わらないけれど、ウィーン盤の方がほんの少しばかり「流れ」が良い。当時のベルリン・フィルがあくまで指揮者の統率下にあるのに対し、ウィーン・フィルは自主的だったということか(木管の音色が美しい)・・・。
あまりにも有名なこれらの音楽を通して聴いてみて、クリュイタンスの絶妙なテンポ感に痺れた。モーツァルトといい、チャイコフスキーといい、あるいはドヴォルザークといい、すべての楽の音が活きる。
※つい先日、タワーレコード限定でCD化されたみたい。
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