テリー・ライリーの「インC」(1968.3録音)を聴いて思ふ

riley_inC442自然には完全なる沈黙というものがないことをあらためて確認する。
決定されたたった一つのパルスの上に、世界では生きとし生けるすべてのものが「音」を発する。いわばあらゆるものが「音楽」の内側にあるのだ。

なるほど、音楽における休符の意味は、ひょっとすると僕たちをそういう世界から分断させるための方法のひとつなのかもしれない。作曲家は神の使いであり、おそらく本人の意志なく、そのように書かされているのかもしれない。
テリー・ライリーの「インC」の驚異は、それこそ一つのパルスの上に一切の静寂なく音を鳴らし続けたことにあるのではなかろうか・・・。

暴力的なステージが売り物だったフーは、ホテルつぶしで有名になったグループの草分でもある。「フーのツアーはしんどかったね。マジに考えてれば、メンバー同士がウマが合わないことを認めざるを得なかったからね。マジじゃなかったから、そのことを認めなくて済んだのさ」1968年、フーのピート・タウンゼントはそう笑い飛ばした。(タウンゼントが「狂気」と呼んだ)ツアー中の傍若無人ぶりで名を馳せたのは、フーばかりではない。
ゲーリー・ハーマン著/中江昌彦訳「ロックンロール・バビロン」(白夜書房)P118

60年代、70年代のロック音楽のもつ「破壊」というアイコンは、それを奏でるメンバーの深層にある欲求不満や抑圧にひもづくものだったことがよくわかる。

後にピート・タウンゼントが語った「フーズ・ネクスト」創出の頃のザ・フー。

彼(キット・ランバート)が、ドラッグを打つ為に姿をくらますなど、日常茶飯事のことだった。そして、チームのほかの人間(キース・ムーンを含む)もまた強いドラッグを打っていることがバレるのに、そう時間を必要としなかった。私は私で毎度の如くブランデーの瓶を空けては呑み、また空けるという始末―きっとそれで自制を繕っているつもりだったのだろう。
(1995年5月7日、日曜日 ピート・タウンゼント)
「フーズ・ネクスト〈デラックス・エディション〉」ライナーノーツ

創造のための開き直り。この無鉄砲さこそが新しいものを生み出すときに必要なエネルギーなのである。

テリー・ライリーはフーから評価された。フーはライリーのソロの電子的即興の仕掛けを学び、彼らの10代の荒地の賛歌「ババ・オライリー」のタイトルに彼の名前を組み入れた。
アレックス・ロス著/柿沼敏江訳「20世紀を語る音楽2」(みすず書房)P537

そう、20世紀の「音楽」の真価は、ポピュラーとクラシックというジャンルの壁を超え、相互に影響し合ったことにある。
テリー・ライリーこそロック音楽が芸術化し、いよいよ肥大化に向かった1960年代後半の、現代音楽界の奇蹟のひとつだということだ。

ライリー:インC(1964)
テリー・ライリー(リーダー、サクソフォン)
バッファロー・ニューヨーク州立大学創造・演奏芸術センターのメンバー
マーガレット・ハッスル(パルス)
ローレンス・シンガー(オーボエ)
ダーレン・レイナード(バスーン)
ジョン・ハッセル(トランペット)
ジェリー・カークブライド(クラリネット)
デイヴィッド・ショスタク(フルート)
デイヴィッド・ローゼンブーム(ヴィオラ)
スチュワート・デンプスター(トロンボーン)
エドワード・バーナム(ヴィブラフォン)
ジャン・ウィリアムズ(マリンバフォン)(1968.3.27-28録音)

延々と繰り返されるパターンは、聴き様によっては確かにうるさいとも感じられるだろう。強いブーイングが出るのもわからぬでもない。とはいえ、先入観を捨て、音そのものに身を委ねたときに、テリー・ライリーの真意、そしてその凄さがわかるというもの。麻薬中毒のように、この「音楽」なしではいられなくなる不思議。癖になる・・・。

この作品は、全曲を通して絶え間なく反復される16分音符のC音(ハ音)のパルスに、演奏者それぞれが53の単純なフレーズを自由にのせてゆくという方法で音楽を作り上げてゆく。
~間洋一氏によるライナーノーツ

それこそ宇宙解放のハ音のパルスにその秘密があるのだと思う。

テリー・ライリーの「インC」は、1969年にダルムシュタットで演奏されたときに、前衛の人たちから強いブーイングをもらった。ヨーロッパの作曲家のなかで、アメリカ音楽で何か革命的なことが起こっているのを理解したのは、ほんのわずかにすぎなかった。鋭い聴き手の一人がジェルジ・リゲティで、彼は1976年の作品「2台のピアノのための3つの小品」のなかに、「ライヒとライリーのいる自画像(そしてショパンもそこにいる)」と題された陽気で反復的な楽章を含めた。
アレックス・ロス著/柿沼敏江訳「20世紀を語る音楽2」(みすず書房)P553-554

脱帽・・・。

 

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3 COMMENTS

雅之

>自然には完全なる沈黙というものがないことをあらためて確認する。
決定されたたった一つのパルスの上に、世界では生きとし生けるすべてのものが「音」を発する。いわばあらゆるものが「音楽」の内側にあるのだ。

閑さや岩にしみ入る蝉の声  松尾芭蕉

季節はずれですが・・・。

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岡本 浩和

>雅之様

やっぱり西洋の芸術家の多くは俳句など、日本伝統の芸術に影響を受けているんですかね。
芭蕉の句が染み入ります。

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