“Emerson, Lake & Palmer”を聴いて思ふ

emerson_lake_&_palmerフィルモア・イーストとウェストのショウは、その両方がこのコレクションに収録されているが、とりわけ思い出深いものがある。12月16日のサンフランシスコでの最後のギグは特にだ。マイクとイアンはその日を待たずしてキング・クリムゾンを離れる決意を固めていた。そして僕はその晩、同じショウに出演していたナイスのキース・エマーソンを紹介されたのだった。

1997年1月にグレッグ・レイクが語った言葉。ここにキング・クリムゾンの崩壊とエマーソン・レイク&パーマーの創造の邂逅がある。

1970年11月にリリースされたファースト・アルバムの衝撃はいかばかりであったか・・・。40年以上を経た現在においても「新しい」。しかし、一方で、イニシアティブをとるエマーソンのキーボードの予測可能で単純な調子に、数年後には聴衆が離れていったという事実も「よくわかる」。おそらくエマーソンの中では、自身の方法と方向性をより確固としたものにするのに、当時気勢を上げ始めた新人バンドの逸材を確保することで新たな道を探れるという確信があったのだろう。それゆえファーストは(だけは?)確かに素晴らしい。

“The Barbarian”はバルトークの「アレグロ・バルバロ」が下敷きとなる。しかし、ここには残念ながらマジャール的要素は皆無。それどころかタイトルが「未開人」であるにもかかわらず、音が洗練され過ぎ、都会的センスに満ち溢れる。ただしそれはバルトークを前提にするならば、の話。あくまでキース・エマーソンのオリジナルとして捉えるのなら、ロック音楽の永遠のマスターピースとして後世にまで残るインストゥルメンタル・ナンバーであるといえる。だからやっぱり僕は好き。

ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」をモチーフにした”Knife Edge”は、グレッグ・レイクのヴォーカルをフューチャーすることで、原曲の趣を完全に覆い隠しているところがミソ。エマーソンのキーボードに対抗し(?)レイクが吠えるのだ。

From the flight
Of the sea gull
Come the spread claws
Of the eagle
Only fear
Breaks the silence
As we all kneel
Pray for guidance

カモメのジョナサンは、群れから追放されることを怖れず、他の誰も真似のできない曲芸飛行の練習をし、ついには鷲のように舞い上がった。恐怖など糞食らえだという心情が逆説的に語られる。すべては挑戦なんだとグレッグ・レイクは言いたかったのか。名曲だ。

Emerson, Lake & Palmer

Personnel
Keith Emerson (piano, clavinet, pipe organ, hammond organ, moog synthesizer)
Greg Lake (bass, guitars, vocals)
Carl Palmer (drums, percussion)

白眉は”The Three Fates”(運命の三人の女神)(ワーグナーのラインの3人のノルンあたりがモティーフになっているのか?)から”Tank”(タンク)の流れ。アンコールの如く奏される”Lucky Man”は涙がこぼれるほど美しい。12歳のグレッグ・レイク渾身の名曲(まるで少年モーツァルト!)。

 


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4 COMMENTS

みどり

未だ冷え込みの厳しい毎日ですが、お変わりありませんでしょうか。

>ファーストは(だけは?)確かに素晴らしい。

さすが岡本さん、凄いです! 笑ってしまいました。
その知名度において「タルカス」「展覧会の絵」「恐怖の頭脳改革」に
劣るかもしれませんが、やはりこのファーストは素晴らしいと思います。

中1の時分に「ナイフ・エッジ」のコピーに取り組んだことがありますが
当時は「シンフォニエッタ」より、寧ろ「フランス組曲」(BWV812)に
惹かれていました。

岡本さんのこの記事を拝見し、何とはなしにウィキペディアを眺めて
みると、「ナイフ・エッジ」は作曲が「ヤナーチェク&バッハ」、編曲が
「エマーソン」、歌詞が「レイク&フレイザー」とあり驚きました。

発表時はキース・エマーソン作曲ではなかったか?と、取り急ぎ(笑)
ウィキの英語版を検索してみたところ、著作権侵害でヤナーチェクの
家族から訴えられ、最終的にクレジットするに至ったとのこと。

http://en.wikipedia.org/wiki/Knife-Edge

全く知りませんでした。 不明を恥じ入っております…(笑)

「頭脳改革」の「トッカータ」を発表する際、エマーソンがヒナステラに
編曲の許可を得るために会いに行ったというのも、そうした経緯が
あってのことか…と合点が行った次第です。

勉強する機会を頂戴しましたこと、有り難く感謝を申し上げます。

返信する
岡本 浩和

>みどり様
こんばんは。さすがはみどりさんですね。中1から「ナイフ・エッジ」ですか!参りました。
しかし、僕がELPを聴きはじめた30年前はすでにクレジットはヤナーチェクだったように思います(いや、記憶違いかな・・・?)。

いずれにせよ、逆に発売当初はキース・エマーソン作曲になっていたことに驚きました。
勉強になりました。ありがとうございます。

>「頭脳改革」の「トッカータ」を発表する際、エマーソンがヒナステラに編曲の許可を得るために会いに行ったというのも、

先般、吉松先生が「タルカス」オケ版を作った時はすでに完成後にキースに許可をとりにいったらしいですからね。「断られたらどうしよう」と思っていたとのこと(笑)。しかし、すんなりOKだったことに少々拍子抜けしたらしく・・・。まぁ、キース自身に前例があったということですね。

返信する
みどり

連投で恐縮です。

「頭脳改革」は73年発表なので、岡本さんがお聴きになられた時には
「ヤナーチェク」のクレジットはあったのではないかと思います。

私がELPを初めて聴いたのは知人から貸されたLPだったのですが
それにはクレジットがなかったように思うのですね。

ウィキのアルバム解説では“quotations”と表現されているので
当初はエマーソンの編曲であるというクレジット以外はなかったという
ことかもしれません。

何分にも古い話で私こそ記憶が曖昧なものですから、読者の皆様に
お詳しい方がいらっしゃいましたら、正確な情報をお教えいただきたく
お願いを申し上げます。

他力本願で…誠に申し訳のないことです。

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