ワーグナーは、ベートーヴェン以降音楽に「アニマ(動物的なるもの)」が宿ったと言った。彼の音楽的ガイドの一つはベートーヴェンの第9交響曲であり、ワーグナーはそこで描かれるものを自身の音楽的創造、思想的創造の拠り所にした。そして、音楽と詩の融合である舞台総合芸術なるものを生み出し、同時代の、そして後世の芸術家に多大な影響を及ぼした。
リヒャルト・シュトラウスの「父の想い出」が面白い。
彼にとっては、もはやベートーヴェンの第7交響曲のフィナーレさえもが、もはや「純粋な音楽」ではなかった。父にしてみれば、そこにはすでに「音楽のメフィスト」ワーグナーの匂いがしていた。・・・音楽が純粋な音の構築物ではなく、意識的に何かを表現する手段として用いられる作品については、父は懐疑的であった。彼は「タンホイザー」は受け入れたものの、「ローエングリン」は甘ったるいとし、さらに後期のワーグナー作品についてはきっぱりと拒否した。
~日本リヒャルト・シュトラウス協会編「リヒャルト・シュトラウスの『実像』」P132
本人の性質の50%がDNAによって引き継がれたものであるとするならば、シュトラウスの内側にも同様の「癖」、あるいは「習性」があってもおかしくない。
父の厳しい監督のもと、私は16歳までは古典派の曲だけを聴き、演奏して育った。私が現在にいたるまで、古典主義作曲家の作品への愛と賛嘆の念を失うことがなかったのは、この幼年時代の教育のためなのである。
~同P134
今でもよく思い出せるが、17歳くらいになっていた私は、熱に浮かされたように「トリスタン」のスコアをむさぼり読み、感激のあまり陶酔状態に陥った。しかしこの熱はその後、―目と内心の耳で聴き取ったものの印象を、実際の舞台を見ることでさらに強めようという試みに至って―水を差されることになる。私は公演に接して落胆、絶望せざるを得なかったのである。
~同P135
父から受け継いだ、「アニマ」を否定するいわゆる純粋音楽への刷り込みと、少年時代にワーグナーのエロス音楽に陶酔した経験との間で板挟みになりながら、おそらくシュトラウスは一生を過ごさなければならなかったのでは?そう、解放することのできない「自己矛盾」の中で。
楽劇作品として最後になる「カプリッチョ」を聴きながら、そんなことを思った。その室内楽的な響きと、間違いなくシュトラウスの音楽として昇華された音の美しさを耳にして思うのは、いわゆる「アニマ」を排除しようとする意思が彼の中に明らかにあるということ。そして、その洗練された、複雑でありながら簡潔な手法に目を瞠るものの、実にオペラの主題が「言葉か詩かどちらが優れているか」というもので、しかも最終結論が出せないまま物語が閉じられることから、やはりワーグナー的世界、すなわち「アニマ」の世界を肯定せざるを得ないという考えをそこに読み取った。何より、グルックの「アウリスのイフィゲニア」が随所に引用される点も見逃せない。よりによってワーグナー芸術の根本思想である「女性の純愛による救済」をテーマにした18世紀の傑作であり、ワーグナー自身が序曲をアレンジしている「イフィゲニア」なのである。
リヒャルト・シュトラウス:楽劇「カプリッチョ」
グンドゥラ・ヤノヴィッツ(伯爵令嬢マドレーヌ、ソプラノ)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(伯爵、バリトン)
ペーター・シュライヤー(音楽家フラマン、テノール)
ヘルマン・プライ(詩人オリヴィエ、バリトン)
カール・リッダーブッシュ(劇場支配人ラ・ロッシュ、バス)
タチヤナ・トロヤノス(女優クレロン、アルト)
デイヴィッド・タウ(トープ氏、テノール)
アーリーン・オジェー(イタリア人歌手、ソプラノ)、ほか
カール・ベーム指揮バイエルン放送交響楽団(1971.4録音)
錚々たる歌手陣!ベームの棒はどの瞬間も有機的で、とても優しい。第9場の優雅で静謐なるダンス・シーンを聴いてますますその思いを強める。名演だと思う。
ちなみに、シュトラウスが亡くなる数ヶ月前の1949年4月、パリで第1回世界平和擁護会議が開催された。その時、ラジオから彼のオペラ「平和の日」が流されたそう。その際のことをシュトラウス自身はサマズイユ宛の手紙で次のように書いている。
「平和の日」の放送が世界平和擁護会議の日と重なるのは、不思議なめぐり合わせです。1938年に私が抱いていた芸術観が、パリという啓蒙の地から世界中に広がる前兆として、これを受け取らせていただきます。
~山田由美子著「第三帝国のR.シュトラウス」P240
リヒャルト・シュトラウスは、ナチス・ドイツを生き抜いた音楽家だからこそ真の平和を希求した人間らしい人間だったんだと思った。となると「音楽と詩」の対立に答をあえて出さなかったのは、彼の内に決然とした意志があったとみて良いのか・・・。音楽と詩の比較自体がそもそもナンセンスだということ・・・。
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ベームのリヒャルト・シュトラウスのオペラ、国内盤はほとんどなくなってしまいましたね。残念です。地味とはいえ、音楽の骨格をしっかり捕らえた演奏は今でも私たちの心に響く音楽です。国内盤での再発を望みたいものですね。
>畑山千恵子様
おっしゃる通りです。「カプリッチョ」などはなかなか対訳が見つからないので国内盤が復活すると良いですよね。