30年前、僕が学生の頃、早稲田大学の文学部キャンパスのスロープでほとんど毎日のようにワーグナーの「指環」を聴きながら絵を描く男子学生がいた。それが何年生の誰なのか確かめなかった。よって名前も素性も知らない。
19歳の僕からしてみるとワーグナーの楽劇を―おそらくそれはショルティのデッカ録音の有名な「指環」であったことは間違いないのだけれど―さもわかった風に聴く行為そのものがとても高尚で哲学的に思え、羨ましい反面とても近づき難かった。なぜなら、崇高なイメージというのは裏を返せば高慢で単なる格好つけのようにも感じられたから。
僕が本格的にワーグナーの世界にはまったのはそれから何年も経ってから。きっかけはやっぱり「トリスタンとイゾルデ」だったと記憶する(その辺はニーチェのワーグナー原体験と同じ)。あの妖艶な世界観は20歳やそこらの年齢だと確実にキャパ・オーバー(笑)。30歳も近くになってようやくその凄さがほんの少し理解できた。
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの著した「ワーグナーとニーチェ」を読んだ。19世紀を代表する2人の天才の出逢いと離別、ニーチェの側から見た場合の崇敬と憎悪についてが、彼なりの見地で論じられており、面白かった。
僕が思うに、人間の関係というのは、形はどうあれ、少なくとも精神的には対等でない限り結果うまくゆかなくなる確率が高い。ワーグナーとニーチェの場合もそうだろう。ニーチェはワーグナーを「師」と仰ぎ、ある時期から異様なくらい全面的に信頼を置いた。しかし、崇め過ぎたきらいもある。「師」といえども神様ではないのである。過ちだって犯すし、エゴを突き付けてくるときだってある。その意味で「師と崇めた人」に対する期待は大敵。僕は思う。少なくともこの2人は本来精神的な意味においては対等だった。しかしながら、そこに気づかずにいたことが後の彼らの離反、ひいてはニーチェの極端な憎悪につながったのではと思うのだ。
ニーチェは「パルジファル」をあまりにキリスト教的と批判した。
芸術というものは宗教の問題を避けて通れぬものだけれど、しかし、もっと客観的に捉えた場合、本当はそういう「概念」や「枠」を越えて感じないことには本質は見えないのではないのか。「神聖」などという名がつくが、宗教的問題、イデオロギー的問題については横に置いておくべきではないのかと思うのだ。純粋に音楽として、あるいは物語として捉える。すると、そこには実に深遠な意味が汲んでとれる。そもそも最晩年にワーグナーが至った「共苦」という思想、そして人間が生まれながらに持つ「原罪」の在り処をついにワーグナーは知ったのではないのか。少なくともそれ以前の、すなわち「指環」までのワーグナー作品に見られるエゴイスティックな、傲慢な側面が完全に消え失せ、見事に中庸を現出しているように僕には聴こえるのである。
ワーグナー:舞台神聖祝典劇「パルジファル」
ジェイムズ・キング(パルジファル)
フランツ・クラス(グルネマンツ)
ギネス・ジョーンズ(クンドリー)
トマス・スチュワート(アンフォルタス)
カール・リッダーブッシュ(ティトゥレル)
ドナルド・マッキンタイヤ(クリングゾール)ほか
ピエール・ブーレーズ指揮バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団(1970.8録音)
ブーレーズがバイロイトで録音した音盤を聴いてますますその想いを強める。
この「パルジファル」は枯れていない。決して粘着質ではないけれど、音のひとつひとつにエネルギーとパッションがほとばしる(第3幕など時にくらくらするほど妖艶。何せブーレーズ45歳時の演奏)。しかし、だからこそ人間と神との、三次元世界と精神世界とのバランスが見事にとれた名演奏なんだ。何より一切のもたれなく、楽に聴けるところが素敵。そして、時間の長さを感じることなく音楽がとても素直に感じられるのである。
例えば、「聖金曜日の音楽」。決然とした響きでなく、実に柔らかく、魔法に包み込まれるような、しかし一方で何事もないかのような、そんな調子で物語は進んでいくのだ。それにしてもオーボエの哀愁を帯びた旋律の悲哀・・・。
ニーチェの場合、とどのつまりは自身が受け容れられなかったことへの腹いせのようなものが原点にあるのではないのか。多分に色眼鏡のかかった、そんな一方的な批判のように思えてならない。
※週末の墨田区の講座では「タンホイザー」を鑑賞する。ワーグナーの作品の中でも比較的わかりやすいものだから入門者にもうってつけだろうと考え・・・(生誕200年という記念すべき年だから避けては通れない)。
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