クレンペラーの「マタイ受難曲」を聴いて思ふ

bach_matthew_passion_klemperer1枚目74分25秒、2枚目76分33秒、3枚目72分54秒、合計223分52秒。牛歩の「マタイ受難曲」。残念ながら、聴く者に緊張と集中の糸を途切れさせる緩慢さ、と言いたいところだが、第2部第61曲のアルト・アリア「わが頬の涙」(CD3のトラック3)から音楽の様相が一変する・・・。

わが頬の涙
甲斐なしとあらば、
おお、汝らわが心をとれ!

そう、涙で足りぬなら心臓を捧げようと。
場面は、イエスが嘲弄を受け、いよいよゴルゴダの丘へ引き立てられ十字架へ。そして磔刑、死、埋葬へと続くクライマックス。深沈と、そして不気味な静けさを伴って歌われるオットー・クレンペラーの「マタイ受難曲」の真骨頂がここに・・・。
クリスタ・ルートヴィヒの何という深みのある慈悲多きアリア!
ピーター・ピアーズの福音史家、フィッシャー=ディースカウのイエス、ソプラノ&ピラトの妻にシュヴァルツコップ、そしてコントラルトにルートヴィヒら、錚々たる歌手陣を揃えたウォルター・レッグの大仕事!
その2年前に録音されたカール・リヒター盤(アルヒーフ・レーベル)の、いかにも鮮烈で峻厳、現代的なバッハ解釈の向うを張り、あたかもメンデルスゾーンの蘇演をなぞるが如くのような浪漫的な解釈(メンデルスゾーンの解釈がどうだったのかはあくまで僕の空想だけれど)に終始するクレンペラー盤はイエス・キリストの物語を大いなる人間ドラマとして捉える。

J.S.バッハ:マタイ受難曲BWV244
ピーター・ピアーズ(福音史家、テノール)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(イエス、バリトン)
エリーザベト・シュヴァルツコップ(ピラトの妻、ソプラノ)
クリスタ・ルートヴィヒ(コントラルト・アリア、メゾソプラノ)
ニコライ・ゲッダ(テノール・アリア)
ワルター・ベリー(ペテロ、バス・バリトン)、ほか
ハンプステッド・パリッシュ教会少年合唱団
フィルハーモニア合唱団
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団(1960.11 & 1961.1, 4, 11録音)

涙なくして聴けぬのは、第75番のバス・アリア「わが心よ、おのれを潔めよ」以降終結合唱「われら涙流しつつひざまずき」までの30分弱。カール・リヒター(1958年盤)が19分ほどの所要時間であるのに対し、これでもかと言わんばかりにクレンペラーは想念を徹底的に引きずる。これによって哀しみは癒え、苦悩は浄化されてゆく。最後の音が消えた後の、光に包まれた透明な印象は、ほかではなかなか味わえないもの。

わが心よ、おのれを潔めよ、
われはみずから墓となりてイエスを迎えまつらん。
げにイエスはいまこそわが内に
とこしなえに
そのうましき憩いを得たもうべければ、
世よ、出で行け、イエスを入らしめよ!

いつのまにか終結合唱が鳴り響く・・・。時間を超越し、ただバッハの音楽がそこにあるのみ。

われら涙流しつつひざまずき、
御墓なる汝の上に願いまつる―
憩いたまえ安らかに、安らかに
憩いたまえ!

新たな「歳」を迎え、「いまここ」に・・・。

太字邦訳は杉山好氏による。

 


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2 COMMENTS

畑山千恵子

フィッシャー・ディスカウはカラヤン、晩年のリヒター盤ではイエスを歌っています。できれば、リヒターで聴きたいものですね。

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