バキエ ゼーダーシュトレーム グリスト エヴァンス クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管 モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」K.492(1970.1録音)

100年以上も前の古典ゆえ、少々時代遅れの、古びた見解が見られるが、概ね今でも通用するデントのモーツァルト・オペラ論。2部に分けられた「フィガロの結婚」論についても彼の解釈には目を瞠るものがある。

しかし、《フィガロの結婚Le Nozze di Figaro》をオペラにすることを最初に思いついたのは、モーツァルト自身であった。その着想は、パイジェルロが《セビーリャの理髪師Barbiere di Siviglia》で成功を収めたことにもよるが、それよりも、パリとウィーンでその続篇にあたる《フィガロの結婚》が巻き起こしたスキャンダルによる刺激のほうが大きいようだ。この劇がパリで初演される1784年までの3年間は、政府による上演禁止令が出ていたが、それこそ考えられる最高の宣伝にほかならなかった。ウィーンでは、反体制的という理由から、当時、その劇のほうはまだ禁止されていたが、モーツァルトには、イタリア・オペラの形に焼き直せば許可されるかもしれないし、その上、その劇が禁止されている限り、そのオペラ化は一般の興味を引くにちがいないという予感があったようだ。
エドワード・J・デント/石井宏・春日秀道訳「モーツァルトのオペラ」(草思社)P112-113

神の子モーツァルトは、やはり先見の明があった。というより、非常に高いマーケティング能力(あるいは現実的なマネジメント能力)を具えていたことが「フィガロ」作曲にまつわるエピソードからも如実にうかがえる。

歌劇「フィガロの結婚」には古今の名盤が数多存在する。
傑作だけあり、誰のどんな演奏を聴いても可憐な旋律と、美しいアリアやアンサンブルに溢れる物語にため息が出るほどだ。ただし、昨今の僕は晩年のクレンペラーによるあまりに重厚な、その意味では決してモーツァルト的とは言えない録音に太鼓判を押す。

中でも、細かい思わせぶりなリズムによって7人の思惑が入り乱れる第2幕フィナーレ「ああ、お殿様!」の、いかにも老巨匠による棒であることが伝わる意味深い(?)表現に僕は思わず膝を打つ。そして、モーツァルト自身がこの部分を最も気に入っていたといわれる第3幕第18番六重唱「母を認めておくれ」の、様々な感情の錯綜を見事に音化するクレンペラーの天才。

とんでもない事実が判明するあたりは、冗談の名人だったモーツァルトの面目躍如。ブッファの類型を越えている。驚き、喜び、ちょっと照れるバルトロとマルチェッリーナ、驚き、あきれ、がっかりする伯爵、怒り、驚き、喜ぶスザンナと、そしてフィガロとクルツィオを加えた6人の気持の変化が見事に描き出される。
(堀内修)
スタンダード・オペラ鑑賞ブック③「ドイツ・オペラ上」(音楽之友社)P31

極端なテンポの遅さこそクレンペラーの本懐。それでこそ各々の心理を見透かすかのように描写されるのだ。

・モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」K.492
ガブリエル・バキエ(アルマヴィーヴァ伯爵、バリトン)
エリーザベト・ゼーダーシュトレーム(アルマヴィーヴァ伯爵夫人、ソプラノ)
レリ・グリスト(スザンナ、ソプラノ)
ジェレイント・エヴァンス(フィガロ、バス)
テレサ・ベルガンサ(ケルビーノ、メゾソプラノ)
アンネリース・ブルマイスター(マルチェリーナ、アルト)
ヴェルナー・ホルヴェーク(ドン・バジリオ、テノール)
ヴィリー・ブロックマイアー(ドン・クルツィオ、テノール)
マイケル・ラングドン(バルトロ、バス)
クリフォード・グラント(アントニオ、バス)
マーガレット・プライス(バルバリーナ、ソプラノ)
テレサ・カーヒル(少女1、ソプラノ)
キリ・テ・カナワ(少女2、ソプラノ)
ヘンリー・スミス(チェンバロ)
ジョン・オールディス合唱団(合唱指揮:ジョン・オールディス)
オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1970.1録音)

デントの指摘通りアンサンブル「彼の母だって!」と次々に受け渡されるときの何とも滑稽な雰囲気は、クレンペラーの演奏はもちろんのことここに参加する歌手たちの優れた表現力によるものだと思う。

昔のオペラ・ファンにとって、《フィガロ》の主な聴きものといえば“恋とはどんなものかしら”であり、それに次いで“楽しい思い出はどこへDove sono”“手紙の二重唱”“早く来て、あなた”などが挙げられるが、男の歌手におこぼれがあるとすれば“もう飛ぶまいぞ”くらいのものだった、だが、私はこのオペラの最高の曲は、むしろ第3幕の六重唱であると思っている。“彼の母だって!Sua madre”“彼の母だって!”という声が次々に受け渡される時の、どうしようもないおかしさとドラマティックな迫力に及ぶものは、他のいかなるオペラ、いかなるアンサンブルにもあるとは考えられない—もちろん純粋音楽を含めても。
エドワード・J・デント/石井宏・春日秀道訳「モーツァルトのオペラ」(草思社)P133

一般には評価は決して高いとは言えないクレンペラーの「フィガロの結婚」は、聴き込めば聴き込むほど味わい深くなるものだ。僕にもようやくその真価がわかったように思う。

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