
あれは10年前のことだった。
モーリス・ラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲の実演に幾度も触れる中、パウル・ヴィトゲンシュタインの委嘱に応えた巨匠の、真の天才の成せる業を、この耳で直に触れ、これは間違いなく20世紀の誇る大傑作だと腑に落ちた。
統べる単一楽章は、戦争の悲惨さと、それに相反する真の平和を促す「形」でなかったか?
そして、ほとんど光輝放たれる楽の音の崇高さ。
大野和士指揮都響第818回定期演奏会Cシリーズ
舘野泉傘寿記念コンサート あの時聴いた、舘野泉とピエール=ローラン・エマールの演奏はまるで正反対のものだった。
どんな解釈も、どんな演奏も包含できるラヴェルの器の大きさに僕は感激した。
あのときの記憶が蘇るかのように、エマールの、2018年の動画を観た。
相変わらず極上の色彩と、音のうねりに僕はあらためて感動した。
・ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲ニ長調(1929-30)
ピエール=ローラン・エマール(ピアノ)
マルコ・レトーニャ指揮ストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団(2018Live)
感激が蘇る。
指揮者とピアニストのつながり、そして、独奏者とピアニストのつながり、すべてが大きな連携の中で、濃密な連帯の中で起こっていることが映像を確認することで一層明確になる。
何世紀もの間、人間は自然のなせる業の中に音楽のためのインスピレーションを探し求めてきた。小川のせせらぎ、葉ずれの音、鳥の歌、野獣の叫び声といった永続的な美はすべて音楽で表現されてきた。
とはいえ、そうしたものすべては今や既得のものである。私たちには、新しい作品のために、自然からインスピレーションを汲み取り続けることは不可能である。というもの、世界が、古いインスピレーション源に基づいた新主題を聞くのにうんざりしてしまい、すべての音楽が陰りに苦しむ時が必然的に到来しつつあるからだ。
「工場に歌を見つける」(1933)
~モーリス・ラヴェル/笠羽映子編訳「ラヴェル著述選集」(法政大学出版局)P215
すべては自然の成せる業からの反映の中にある。
現代音楽に対するある種の抗いはラヴェルの中にあった。
音楽に限らず、芸術というもの自然のなせる業から決して離れてはならない。
