
1998年、僕は第1回別府アルゲリッチ音楽祭を訪れた。
そのときに聴いたアルゲリッチのプロコフィエフに(お目当てだった)もちろん感動したが、それより何より、急遽直前に奏されたチョン・ミュンフンとの連弾によるラヴェルの組曲「マ・メール・ロワ」の美しさ、可憐さに啞然とし、心から感激したことを今もはっきり思い出す。
別府アルゲリッチ音楽祭ライヴ(1998.11.30Live)を聴いて思ふ 四手ピアノのための子供向け作品集《マ・メール・ロワ》は、1908年に書かれた。それらの小曲は幼年時代の詩情を喚起しようとしたもので、おのずから自分の手法を簡素化し、書法を簡潔なものにすることになった。この作品をもとに、私はバレエ音楽を作ったが、それはテアトル・デ・ザール(芸術劇場)で上演された。作品はヴァルヴァンで、私の若い友人たち、ミミおよびジャン・ゴデブスキのために作曲された。
「自伝的スケッチ」(1928)
~モーリス・ラヴェル/笠羽映子編訳「ラヴェル著述選集」(法政大学出版局)P196
誰しもに「幼年時代」はある。
何を詩情とするのか、大抵は、そのときの純粋無垢さ、無邪気だった自分を回顧せんとするのだと思う。
人は大人になり、知識をつけるに至り、失くすもの多々。
なるほどそれをラヴェルは「詩情」とした。
言外の、非言語の、言葉では表すことのできない偉大な何か。
そういえば、ラヴェルの音楽には、僕たちが失くした、置いてきぼりにしてしまった何かを思い出させる力が秘められているように思う。
そして、クリュイタンスのラヴェルはやっぱり素晴らしいと感じる。
自ずと喚起させられる音楽の力。得体の知れぬそれは、ラヴェルとクリュイタンスが一体になる中にのみ存在するものなのかも。要は、名演奏は、創造者の魂と再生者の魂がひとつになったとき生まれ得るのである。
ラヴェル:
・バレエ音楽「マ・メール・ロワ」M.62(1962.4.20&25録音)
・高雅で感傷的なワルツM.61(1962.4.19録音)
アンドレ・クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団
四手連弾用「マ・メール・ロワ」は、1910年4月20日に初演された。
その後、管弦楽化され、1912年1月20日、バレエ形式で上演。
世紀末的退廃の色を残しつつ、20世紀ならではの洒落たセンスは、ラヴェルならでは。
特に、管弦楽化された後の「マ・メール・ロワ」は絶品であり、第4場「親指小僧」以降のメルヘンチックな歓喜に僕はいつも心が躍る。
前奏曲
第1場:紡車の踊りと情景
第2場:眠れる森の美女のパヴァーヌ
第3場:美女と野獣の対話
第4場:親指小僧
第5場:パゴダの女王レドロネット
第6場:妖精の園
そして、シューベルトを手本に書かれた「高雅で感傷的なワルツ」の独自性こそラヴェルの真骨頂。ラヴェル自身が口述筆記させた解説には次のようにある。
《高雅で感傷的なヴァルス》は、独立音楽協会の作曲家名を秘した演奏会において、抗議や野次の只中で初演された。聴衆は各曲の作曲者を投票することになっていた。《ヴァルス》の作曲者が私だと分かった人はかろうじて過半数くらいだった・・・7番目のワルツが最も特徴的だと私には思われる。
~同上書P196-197
クリュイタンスの、粘る、思い入れたっぷりの表現に惚れ惚れ。
これでこそラヴェルの色彩が生きるというもの。
指揮者はもちろんオーケストラも音楽に感応し、一体となっている様子が感じ取れる。
実に素晴らしい1枚だ。
