確実に環境に左右される「個性」というものは面白い。「個性」に気づき、それをうまく使えるなら武器になるが、そうでないと逆に足枷になる。「個性」は両刃の剣ということ。
先日、モルゴーア・クァルテットによる1968年から1974年にかけて生み出された作品群を並べて聴いてみて、土地柄や手段や、そういうものによって音楽が様変わりすることを目の当たりにした。もちろん作曲家による「意味づけ」によってもそれは大いに変化する。それにしても母国語の持つ音感の影響というのは多大だろう。ロシア語の持つ語感とマジャール語のそれと、あるいは英語のそれとは当然異なるもので、それがそのまま音楽に反映されているようで興味深かった。
フランソワ・アルディの1960年代のヒット曲を集めた「グレイテスト・ヒッツ」を聴いた。フレンチ・ポップの原点であり、フランス語の語感の持つ、やはり気怠いアンニュイな雰囲気に溢れる作品群は、多少の古びた感は否めないものの、いかにも人間らしい愛と哀の宝庫。なのに不思議な愉悦感もあり、その名の通り実に「ポップ」なのだ。
Françoise Hardy:Greatest Hits – Comment te dire adieu
ジャック・デュトロンとの間に子どもをもうけ、いわゆる「未婚の母」であったアルディはいかにも毅然とした姿勢を持った。
こういったことは、ごく自然で、とくに勇気のいる行動でもありません。
~ライナーノーツ
勝手といえば勝手。しかし、これこそが現代人が求める「個性」。そういうことを易々とできない僕たちは彼女の歌に逆に魅力を感じるのである。
1968年録音の、セルジュ・ゲーンズブールによるいかにもゲーンズブールらしい歌詞を持つ”Comment te dire adieu”の小悪魔的な可憐な歌声と、中間の官能的な語りにいきなり心を奪われる。哀しい・・・。
私にはわかってるわ
この恋には見込みがないと
でも、説明してほしいのよ
あるいは、1967年録音の、映画「パリのめぐり逢い」の主題曲である”Des ronds dans l’eau”の耳元に囁きかける歌唱こそアルディの真骨頂。
そして、アルディ自身の作詞作曲による”Voilà”での、妖艶でありながら虚勢を張る「切なさ」に感化される。
どうして私には
あなたを愛してる
愛してる 愛してるって叫ぶことができないのかしら