ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル「歌曲集」第2集を聴いて空想する

fanny_medelssohn_lieder_2ロベルト・シューマンがクララ・ヴィークに突き付けた「関白宣言」というのは、グスタフ・マーラーがアルマ・シントラーに送ったそれに非常に近い。そこから、シューマンとマーラーには極めて同質の「支配欲求」、裏返せば極度の「依存性」があったように僕は思う。二人の音楽たちが「分裂気質」を含めどこか近似性を感じさせることからもそれは容易に想像できる。

マーラーが交響曲第5番を書き始めた頃、彼はアルマと出逢い、交際が始まっている。

君が僕の音楽を所有し、僕の音楽を自分の音楽とするために、君の音楽を完全に捨てるとすれば、それは君にとって君の一生をぶち壊すことを意味するのか、欠くことのできぬ人生の頂点を断念せねばならぬことになるのか?僕らの生涯にわたる契りが考えうるものとなる前に、僕らの間でこのことをはっきりさせておかねばならない。
1901年12月19日付、アルマへの手紙
村井翔著「作曲家◎人と作品 マーラー」P114

これから先、君には僕を幸せにするという、ただひとつの仕事しかない!僕の言うことがわかるかい、アルマ?もちろん君が僕を幸せにしうるためには、君自身も(僕によって)幸せにならねばならない。でも、喜劇にも悲劇にもなりうる(どちらになっても困るのだ)この芝居において、役割は正しく分配される必要がある。「作曲家」の役、「仕事をする」役は僕出し、君は彼を愛する伴侶の役、彼を理解する同志の役だ!
~同上P114

痛々しいほどの高圧性。そして、それがゆえの「劣等感」がどうにも垣間見える(シューマンの場合と同じく)。
交響曲第5番の第1楽章は「葬送行進曲」だ。まるで、それまでの自身を葬り去り、再生するかのような気概が含まれているようにも思えるが、アルマへの永遠の愛を逆説的に表現したようにも捉えられなくない。その意味では、冒頭のトランペット・ファンファーレはメンデルスゾーンの「結婚行進曲」から借りたものだという説はあながち間違いでないのかも。しかし、どちらかというとこれは「無言歌集第5巻」作品62-3「葬送行進曲」からの引用だ。とするなら、ここにはアルマへの「愛」などはない。むしろ、それまでの彼女の生き方を諌め、否定し、これからは自らへ傅くよう命令する音の「関白宣言」なんだ。

19世紀に生きる女性には因習として「働く権利」などなかった。あくまで男性の世話役として、そして家庭を守る母なる存在として彼女たちはあった。

前置きが長くなった。
シューマン夫妻とも親交のあったファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼルを聴いた。クララやアルマと同じくその才能を表に出すことを許されなかった才媛の美しき作品たち。

ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル歌曲集第2集
ハインリヒ・ハイネの詩による
・春が来たとき(1835年)
・ああ、あの眼差しは変わらないままだ(1837年)
・唐檜と棕櫚(1838年)
・光り輝く夏の朝(1827年)
・喪失(花がわかってくれるなら)(1827年)
・一人ぼっちの涙は何を望む(1827年)
・山のかなたに(1828年)
・私は樹々の下をさまよった(1838年)
・かつて私は暗く、困難の中に生きていた(1834年)
・私は木立と悲しみの中を悲しむ(1834年)
・孤独の涙は何を意味する?(1834年)
バイロン卿の詩による
・その魂は明るき場所にある!(1837年)
・さようなら!(1837年)
・美の女神の娘はどれでもない(1836年)
フリードリヒ・リュッケルトの詩による
・魔術の環(1843年)
ロバート・バーンズの詩による
・あなたから、わが愛する人、私は別れなくてはいけない(1841年)
ユスティヌス・ケルナーの詩による
・死への哀歌(1841年)
ルートヴィヒ・ハインリヒ・クリストフ・ヘルティの詩による
・遠方にて(1833年)
・6つの歌作品9-6「5月の夜」(1838年)
・5月の歌(1827年)
・ため息(1827年)
・船乗りの少女(1827年)
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの詩による
・私が静かに自分自身をみつめると(1828年)
・イタリアへのあこがれ(1822年)
・ミニョン(1826年)
・遠い国からの歌
ヴィレマー&ゲーテの詩による
・ズライカ:どんなにか、心の底からの喜びを持って(1825年)
ヴィレマーの詩による
・ズライカ:ああ、お前の湿りを帯びた翼(1825年)
ドロテア・クラクストン(ソプラノ)
バベッテ・ドルン(ピアノ)(2010.10.28-31録音)

いずれも抑圧された想いが一気に解放するような「明朗さ」に溢れる・・・。

ちなみに、「無言歌集」はフェリックス・メンデルスゾーンの作品として出版されているが、おそらくファニーの知恵も反映されているだろう。いや、というよりそのうちのいくつかはひょっとするとファニーの真作である可能性も高い。こればかりは証拠も残されていないので、まさに独断と偏見だが、1827年作のハイネの詩のよる「喪失」などは1830年にフェリックスの作品9-10として出版されているくらいだから十分にあり得る・・・。
マーラーが密かにその事実を掴み、あるいは空想し、ファニーの影を投影したフェリックスの作品をアルマへの「愛」に掛けたとするならあまりに出来過ぎか・・・。

ああ、今夜も空想中・・・、というか妄想中?

 

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2 COMMENTS

畑山千恵子

 ファニーのビアノ作品には、弟フェリックスにはないようなものがあったりします。しかし、フェリックスと酷似しているものすらあります。とはいえ、フェリックスの研究も進んできて、個人のアルバムに入っていたものも出てきましたし、スケッチ帳、未完成の作品の研究も進み。フェリックス・メンデルスゾーンは自作に対して厳しい視点で創作活動を進め、自分が納得したものを作品として完成させました。
 フェリックス・メンデルスゾーン研究がかなり進んだ今、ファニー・メンデルスゾーン・ヘンゼルもどのように進んでいくでしょうか。

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岡本 浩和

>畑山千恵子様
ファニーの作品は本当に素晴らしいですよね。
ことによるとフェリックス以上の才能があっただろうとも言われているので、彼女が作曲家として活動できなかったことがとても残念に思います。

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