ヴィトゲンシュタイン&ワルター指揮コンセルトヘボウ管のラヴェル左手(1937.2Live)を聴いて思ふ

ブーレーズはショスタコーヴィチを毛嫌いしたのか、馬鹿にしていたのか、本当のところはわからない。その芸術も、目指すところも明らかに異なるが、それでもあらゆる楽器を駆使しての人間ドラマという視点だけで捉えると、意外にまったく正反対のものではないように思えなくもない。

20世紀前半のフランス音楽の発展に貢献したのは、まぎれもなくセルゲイ・ディアギレフその人である。バレエ・リュスがあったおかげでストラヴィンスキーが才能を開花し、その影響、結果恩恵はパリのラヴェルやドビュッシー、サティらまでに飛び火した。舞踊と音楽の一体により、フランス音楽はおそらく他の諸国の音楽芸術に劣らない飛び切り優れたものに昇華されたのだと僕は思う。

1908年の春、ディアギレフはパリでムソルグスキーのオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」を上演することになった。マリインスキー劇場は興奮した。シャリャーピンのボリス役で5月に公演は始まった。大成功だった。ロシアの新聞記事によると、これはディアギレフの、パリでの3度目の事業だという。1回目はロシア肖像画の引越し展覧会で1906年、翌年はリムスキー=コルサコフ、グラズノーフ、ラフマニノフ、スクリャービンなどロシア音楽のコンサート、指揮者はアルトゥール・ニキッシュ、そして今、1908年にはパリで初めてロシア・オペラを紹介した。3回ともたいへんな評判で、いまやディアギレフの名はパリの芸術界に大きく喧伝されることとなった。
セルゲイ・グリゴリエフ著/薄井憲二監訳/森瑠依子ほか訳「ディアギレフ・バレエ年代記1909-1929」(平凡社)P7

ロシアの土俗性とフランスの都会的センスの融合。
フランスのとんでもない先見は、ロシアの作曲家たちにどれほど衝撃を与えたのだろうか。あるいは、ロシアの大地の濃密な哀愁は、パリジャンたちの脳髄をどれだけ刺激したのだろうか。

昨日、ブーレーズの編曲したラヴェルの「口絵」(原曲:2台5手ピアノのための)を聴いた。短いながら、あの前衛的な、まるでブーレーズの自作のように思われた音響は、そもそもラヴェルの特殊な(2台5手!)演奏指定があっての賜物ではなかったか。もちろんそれは、ブーレーズの、このあまり知られていない佳作を掘り起こし(?)管弦楽化しようとした審美眼あってのこと。国を超え、文化を超え、互いに刺激し合うこと、そして、最後には互いに受容し合うことにより革新が生まれることの奇蹟を思う。

ラヴェル:
・ピアノ協奏曲ト長調(1932録音)
マルグリット・ロン(ピアノ)
モーリス・ラヴェル指揮ラムルー管弦楽団
・左手のためのピアノ協奏曲ニ長調(1937.2.20Live)
パウル・ヴィトゲンシュタイン(ピアノ)
ブルーノ・ワルター指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
・ボレロ(1930.1録音)
モーリス・ラヴェル指揮ラムルー管弦楽団
・弦楽四重奏、フルートそしてクラリネットを伴奏にもつハープのための「序奏とアレグロ」(1923録音)
モーリス・ラヴェル指揮室内アンサンブル
グウェンドレン・メイスン(ハープ)
ロバート・マーシー(フルート)
弦楽四重奏団

アドルフ・ヒトラー率いるナチスによるオーストリア併合の前年のライヴ録音。
この時は、そんな未来を予知する術もなかったワルター指揮コンセルトヘボウ管をバックにパウル・ヴィトゲンシュタインがピアノ独奏を受け持つ「左手」の、興に乗る壮絶な演奏に涙がこぼれる。そう、全編楽観が支配するのである。

この楽観的な気分のうちに、私はその翌日、客演指揮者としての義務を果たすためにアムステルダムに向かった。私たちは、2週間ばかりしたら帰って来るつもりで、娘に陽気なさようならを言った—何が彼女を待ちうけていたか、私たちは予感すらしなかった。何がオーストリアに迫っていたかということを、また、自分たちがもはやこの国に再会できない運命にあるということを、私たちは予感すらしていなかったのである。
内垣啓一・渡辺健訳「主題と変奏—ブルーノ・ワルター回想録」(白水社)P430

歴史を知る僕たちが、80年の時を経てこの演奏を聴く意味は一体何か。
作品を委嘱したピアニストの真実の音を聴くことのみにあろうか(予感しなかったとはいえ、暗雲立ちこめる欧州の中にあって、コンセルトヘボウ管の奏でる音は厳しく、どこか暗い)。
そして、自作自演の「ボレロ」の絶妙なテンポ設定。ラヴェルは、メンゲルベルクの同年5月の録音同様チェロのピツィカートを強調する。

それにしてもマルグリット・ロンの弾く、ト長調協奏曲第2楽章アダージョ・アッサイの夢見る恍惚の表情と、遠くから幽玄に響くフルートの音色の妙に心動く。何て美しいのだろう。

ラヴェルがレジオンドヌール勲章を断ったことについて、サティはこう言っていました。「ラヴェルは勲章を断るけれど、彼の音楽は勲章を受け入れる」と。つい最近叙勲を受けられることとなった貴君に、「貴君の音楽はいまだ勲章を受け入れない」と僕は言えるでしょうか?
多くの人にとって、僕もそのひとりですが、貴君は、とても早くから、破壊—それもまさに「アメリカ的」破壊—の体現者でした。
(1982年9月23日付、ピエール・ブーレーズからジョン・ケージに宛てた手紙)
ナティエ&ピアンチコフスキ編/笠羽映子訳「ブーレーズ/ケージ往復書簡1949-1982」(みすず書房)P250

創造者とは、すなわち破壊者なり。

 

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