マルティノンのフローラン・シュミット「サロメの悲劇」ほかを聴いて思ふ

florent_schmitt_tragedie_e_salome_martinon049セルゲイ・ディアギレフの先見と、自身の決断に対する確たる自信は20世紀前半の芸術の潮流を支配した。何より時代の錚々たる天才作曲家たちに新作を委嘱し、それらが現代にも聴き継がれる(踊り継がれるのなく、あえて聴き継がれると)名作揃いであることが驚異的。この人がいなければ間違いなく今はない。

バレエ・リュスのパリ・デビュー前後のエピソードが興味深い。特に、ストラヴィンスキー登場の経緯は見事なもので、それこそディアギレフの直観と独断なくして成り立たなかったものだ。仮にディアギレフがいなかったなら、「火の鳥」、「春の祭典」そして「ペトルーシュカ」の三大バレエは(もちろんそれ以外の作曲家の名作たちも)この世に存在しなかったのだから。

フォーキンは前からロシアの昔話を主題にしたバレエをつくりたいと思っていた。今、「火の鳥」が決まった。フォーキンは直ちに、しっかりした台本の制作に取りかかった。私は童話集を何冊か集めてきた。いろいろな話が載っているから、フォーキンと二人、よく読み込んで選び出した。2週間で台本はできた。ディアギレフのところの次の会合に持っていった。台本は通った。ただリャードフは(予見した通り)ディアギレフの話を聞き、そんな曲には1年かかると言った。そこでディアギレフは、イーゴリ・ストラヴィンスキーという若い作曲家にこれを委嘱することにした。音楽院のコンサートでストラヴィンスキーの「花火」という作品を聴き、才能を確信したという。「曲は素晴らしかった。新しいし、独創性がある。音の質が意表を突く。すぐに『火の鳥』の作曲を頼んだ。とても意欲的だった」と加える。これを聞いたわれわれは、一瞬黙った。ストラヴィンスキーを知っていたものは少ないし、知っていたにしても、たかが有望な新人というだけだ。でもディアギレフは動じない。フォーキンに、なるべく早くストラヴィンスキーに会って台本の話をしろと言う。
セルゲイ・グリゴリエフ著/薄井憲二監訳/森瑠依子ほか訳「ディアギレフ・バレエ年代記1909-1929」(平凡社)P13-14

ディアギレフは余裕綽綽、そして自信の塊。その上自身の選択に対して絶対にぶれない。

終演後のプレスの反応は熱狂的で、ディアギレフ・バレエは再びパリの話題となった。批評家はロシア・バレエはさらに成長したと書き、第1回公演の成功を再び繰り返すことは無理ではないか、と言ったディアギレフの心配は杞憂に終わった。ディアギレフは好評に気をよくし、感謝もしたが、それは当然の賞賛だった。
~同上書P42

バレエ・リュスに関わるすべての人々が苦労を苦ともせずとにかく仕事を謳歌していたという背景があるから。スタッフもダンサーも真剣であったし、一丸となっていたわけだから、グリゴリエフが当然というのも頷ける。
とはいえ、すべて順風満帆だったわけではない。1913年の「春の祭典」のスキャンダルは、現代の僕たちの知るところ最も有名なものだろう。

全2場の作品で物語らしきものはなく、原始的な儀式が続いていく様子だけで構成されていた。ソロの踊りは一つのみで、それ以外はすべて多人数の群舞で踊られる。ストラヴィンスキーの音楽は実際のところまったく踊りに向いていなかったが、ディアギレフもニジンスキーも少しも気にしていなかった。彼らの目的はリズミカルに動く集団だけを次々と見せることだったからだ。しかし構想自体はそのように地味だったとはいえ、彼らは動きを音楽に合わせるのに相当手こずり、たびたびストラヴィンスキーに電報で連絡をもらった。
~同上書P85-86

5月29日のシャンゼリゼ劇場の初演時の、例の大騒ぎのそもそもの源を見るよう。創造する側が誰も結果を予想できないほどの作品だったのだから。

ところで、「春の祭典」のあまりの衝撃に、ほとんど話題にもならず、忘れられている作品に「サロメの悲劇」がある。「春の祭典」からちょうど2週間後の6月12日に初演されたものだが、台本が支離滅裂、背景の美術に見どころがなかったという理由で失敗に終わった作品だ。しかし、音楽と振付は素晴らしかったそう。

ジャン・マルティノンがフランス国立放送局管弦楽団と録音した「サロメの悲劇」が美しい。残念ながら僕は舞台がどういうものだったのか知らない。しかし、グリゴリエフが言うように音楽は真に素晴らしい。

フローラン・シュミット:
・詩篇47作品38
・サロメの悲劇作品50
アンドレア・ギオー(ソプラノ)
ガストン・リテーズ(オルガン)
ジャン・マルティノン指揮フランス国立放送局管弦楽団&合唱団(1972.10録音)

前奏曲の、世紀末の退廃的翳りを湛えた音調と20世紀前半の絢爛豪華なエロスの錯綜が愛撫のように聴く者を刺激する。そして、サロメの最初の踊りである「真珠の踊り」に聴こえるのは、リストの「メフィスト・ワルツ」であり、フローラン・シュミットの音楽による性格描写、情景描写の見事さを伝える瞬間だ。「海上の魔法」におけるコーラスのヴォカリーズのあまりの美しさ!!
さらに、「稲妻の踊り」及び「恐怖の踊り」におけるマルティノンの棒は、指揮者自身が音楽そのものと(あるいはサロメと)確実に一体化しており、あまりの壮絶さに卒倒するばかり。オーケストラの鬼気迫る表現力にも舌を巻く。

ちなみに、「詩篇47」は、ローマ大賞受賞後の1904年に書かれたもので、リリ・ブーランジェを髣髴とさせ、大オーケストラとオルガン、合唱を伴ったその圧倒的な響きに身も心も打ちひしがれる。真の傑作であると僕は思う。

主に栄光あれ!
もろもろの民よ、一緒に手をうち、
神をほめたたえよ!
(歌詞対訳:津村正)

 

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