シューベルトの透明感・・・

schubert_6_richter.jpg心地良い疲れを癒すのに、普段ならその繰り返しが煩わしいと思えるシューベルトの音楽が妙に恋しくなる。特に、晩秋や初冬という、少しばかり夜風の冷たさが身体に染み入る今頃の季節にはぴったりの音楽。それも小うるさい管弦楽曲でなく、室内楽曲やピアノ音楽に限る。昨夜遅くに、15年ほど前にミッシャ・マイスキーが録音したシューベルトの歌曲アルバムを少しばかり聴いてみた。「音楽は人種や国境を越えて人々の心に直接訴えかける言葉、しかも最も洗練された言葉」だというチェリストの表現は哀愁を帯びていて、しかも抜群のテクニックに支えられているので軸がぶれることなく、まさに本人の言葉通り直接心に響く。

ワークショップZERO特別コースの第1日目を終え、20代後半の若者たちが「心を開くこと」に躊躇し、しかも「常識」という「枠」に縛られてしまって、学生の頃ほど自由に発想が飛翔しないことに愕然としていた。ただし、「囚われてしまうこと」は決して悪いことじゃない。誰でも長い間この世の中で生きていると、そんな風になってしまうものだから。要は、自身の状態が「今どういう状態なのか」を自覚できていればとりあえずそれで良い。

帰宅後、エルーデ*サロンの勉強会がスタートするまでの小1時間でシューベルトのピアノ音楽を聴きながら明後日の「スポコレ・ワークショップwith TAG RUGBY」の準備。日々何かしら人前でプレゼンテーションする機会があることは、わずかばかりながら緊張感を保つことができ、心身に都合良い。人に接すること、人に伝えること、そして人に何かを教えること・・・。

シューベルト:
・ピアノ・ソナタ第6番ホ短調D.566
・ピアノ・ソナタ第13番イ長調D.664
・楽興の時作品94、D.780~第1番ハ長調、第3番ヘ短調
・即興曲作品90、D.899~第4番変イ長調
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)(1978.7.23Live)

前にも書いたが、シューベルトのソナタに開眼するきっかけをくれたのがリヒテル。実演でなく、NHKの録画放送を偶然観て、あまりの美しさ、というより、軽妙でそれでいて意味深い音楽作りに唖然とし、そのまま凍りついたように全曲を通して観てしまった日のことが懐かしい。早秋の夜更けのことだったか、それとも真夏の早朝だったか、そのあたりの記憶は薄いが。第18番のソナタを弾いていたその時のリヒテルは、アンコールにフィナーレを再び奏した。この音楽がこんなに素晴らしいものだったんだとやっと気づいた、そんな一瞬。

リヒテルの死去の直後に、本人の選曲によるシリーズがビクターからリリースされたが、そのシリーズからの1枚。若き日のシューベルトの旋律の奔流が軽々としたタッチで描かれる。そして、晩年の「楽興の時」抜粋と即興曲作品90-4の流れるような透明感。18歳のフランツも、30歳のフランツも本質は変わらない。そのことは、リヒテルが一夜に組んだこのミュンヘンでのライヴを通して聴けば一聴瞭然。おススメ。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
以前にも述べましたが、私はリヒテルのライヴは、1988年10月の来日公演を唯一度だけ聴いており、その時の曲目は、
プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第2番
ストラヴィンスキー:ピアノ・ラグ・ミュージック
ショスタコーヴィッチ:前奏曲とフーガ作品87~第19曲・第20曲
ヴェーベルン:変奏曲
バルトーク:三つのブルレスケ
シマノフスキー:メトープ 作品29
ヒンデミット:組曲『1922』
というピアノ通好みのもので、当時、ピアノ曲に疎かった私にとっては聴いたことのない曲ばかりで楽しめず、せっかくの名演だったのに「猫に小判」で非常に残念なことをしました。今の私が聴いたなら「値千金」どころではない貴重な経験だったのにと悔しく、つくづく、「芸術とは、作り手と受け手との相互作用や化学反応があってはじめて成り立つ」ということを思い知らされています。
でも、「ロシア・ピアニズム」の何たるかを実感することはできました。
彼のシューベルトやハイドンは、オーストリアやドイツ系のピアニスト、あるいはシフによる演奏などとは一味違うのですが、「牛刀をもって鶏を割く」とは微塵も感じさせない繊細さと、ロシア的ほの暗さを併せ持っているのが魅力だと感じています。あるいは豪快で直球的なロシア・ピアニズムになり過ぎないための抑止力として、ヤマハ製のピアノを好んだのではないかと想像したりもします。
「ほんとうに良いピアノというのは、心の感度、音楽に反応する心の感度がいい。言い換えれば悲しい音を出したいときは悲しく、嬉しい音を出したいときは嬉しく鳴ってくれないといけない。ヤマハは、そういった心の感度の良さとブリリアントな面の両面を持っている」(リヒテル)
http://www.yamaha.co.jp/plus/piano/trivia/?ln=ja&id=103004
ところで、青柳いづみこさん著『我が偏愛のピアニスト』(中央公論社)によると、マルタ・アルゲリッチはジャズが好きで、即興演奏さえできたらそちらに行きたかった、と語っている映像があるそうですが(142ページ)、彼女にもシューベルトをレパートリーに入れて欲しかったですね。カルロス・クライバー指揮の「未完成」や交響曲第3番
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3637633
的なラテン的な感性+ジャズ的霊感に満ちた名演になるのではないかと思うと、彼女がシューベルトを演奏しないのは、やはり残念です。
最後に、
>それも小うるさい管弦楽曲でなく、室内楽曲やピアノ音楽に限る。
「小うるさい管弦楽曲好き」で悪かったですね(悪)。
他人が深夜にオーディオで聴く音楽は、管弦楽曲であろうが室内楽曲やピアノ音楽であろうが、どんな高尚な音楽でも、五月蠅い!やかましい!!、傍迷惑です(笑) 

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岡本 浩和

>雅之様
こんにちは。
>「芸術とは、作り手と受け手との相互作用や化学反応があってはじめて成り立つ」
おっしゃるとおりです。聴く側の意識、姿勢はとても大事ですよね。それにしてもお聴きになったリヒテルのプログラム、いいですねぇ。20世紀を代表する大作曲家の極めつけの名曲がズラリ!確かに今の耳で聴いてみたいと思います。
>「ロシア・ピアニズム」の何たるかを実感することはできました
>繊細さと、ロシア的ほの暗さ
このあたりは実演に触れないとわからないでしょうね。
ソ連崩壊前のあの時代に少なくとも同じ空間を共有されたこと自体が何とも羨ましいです。
あと、確かにアルゲリッチのシューベルト興味深いですね。「ラテン的な感性+ジャズ的霊感に満ちた名演」というご意見、同感です。
>他人が深夜にオーディオで聴く音楽は、・・・どんな高尚な音楽でも、五月蠅い!やかましい!!、傍迷惑です
いやいや、ちっちゃな音で聴くからいいんです!

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